「死んだらどっちに行くイメージ?」と、ある日地元青年に聞かれ、
「え?上かなぁ・・・」と天を指さしました。
すると彼は、それが沖縄の人と内地の人の違いだよと言いました。

「僕らのイメージでは、あっち。」
と水平方向を指さす青年。

天ではなくて、遠い遠い海の向こうだそうです
(宮古では「ニラカナイ」という言葉は使わないらしい)。
これが、私が初めて触れた、沖縄の人の宗教観(死生観)でした。

私にとって当たり前の感覚が、ここではこんなに違うんだと驚いたのを覚えています。




昨日まで、藤川(チンナワンソ)清弘和尚という方が宮古島を訪れていました。

この方、タイで出家され20年近く修行をされている方ですが、
日本人の死生観に強い関心を持たれ、これまで日本仏教各宗派の僧侶、
亡き人を呼んで話を聞いてくれると言われている青森・恐山のイタコや、
北海道へはアイヌ民族の長老を訪ね歩いてきたそうです。

そして宮古島(沖縄)へは、ユタとユタ信仰、また古来から大陸の影響を強く受け、
今でも日本仏教が根付かない沖縄の人々の死生観について
肌で感じるためにふらりと来島されました。


様々な人との出会いの旅、私の方へは、大変お世話になった先輩から連絡が入り、
そういうことなら是非、と我が家にお泊まりいただいていたのです。



案内役の私にとっても自分の暮らす土地をより深く学ぶいい機会。
まずは祥雲寺の住職を訪ねました。

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『タイは熱心な仏教との国といわれていますが、実際タイの人々の日々の
行動・生き様を支えているのが、「死後の良き生まれ返りを望む」
という死生観(輪廻転生)です。沖縄の場合はどうでしょうか』
というのが藤川和尚の質問でした。

住職の話では、沖縄では祖先崇拝の考え方。
輪廻ではなく、死んだらそのまま昇天する感じで、死後には現世と同じような
世界があり、かつて昇天し仏となった祖先から、良い死後をいただくのだそう。
そして現世で生きるものたちには、遺伝したような形で、
祖先から色んな物が受け継がれているということでした。

つまり、「来世のために良いことをしよう」というタイ人の考え方に対して、
「あの世はこの世の写しだから、あの世に行った時のために良いことをしよう」
というのが沖縄の人の考え方。
沖縄には仏教以前にこの考え方があるので、いくら儀式が仏式であろうとも、
人々を支えているのはこういった死生観であるそうです。

じゃあ死後のために生きているのかというとそうではなく、
「自分自身を見つめること、ただ一回の生を見直すことが一番大事」
と住職はおっしゃっていました。

「生きている人が一番大事、生きて行かないと死ねない。」




まるで遺伝のように祖先から受け継いだ色んな物が、
現世で生きる者達へ影響していると言うお話でしたが、
次に、それに対して相談役となっている「ユタ」を訪ねました。

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ユタ(カンカカリャ・カミンチュ) は昔から沖縄の人々の一生に大きな精神的影響を
与えており、運勢の吉凶を見たり、先祖事などの霊的相談に応じたりしています。

この方がユタになるまでには様々な導きがあったそうで、色々な物を見せられたり
という神懸かり(カンダーリィ)を経験し、かなり厳しい思いをさせられたそうです。
だからやりたくないと拒んだということですが、
自分がやらなければこの仕事が自分の子供に与えられると告げられ、
「子供にこんな思いをさせられない」と、仕方なくこの世界に入ったそうです。

しかしながら、「あの世の影響がこの世に及んでいたとて、この世のことは
この世の人にしかできない」そうで、そのためにユタとして働いているそうです。

人々が先祖から与えられた様々な苦しみなどに働きかけ、そこをクリヤーにしていく
というような、いわば現世に生きる人のカウンセラー的な存在に当たるようです。

そして死ぬときには神の導きで仏によって成仏されるとのことでした。
ここでいう神や仏とは、先祖の魂をさしているようでした(その区別は曖昧)。




一般人相手に霊的なアドヴァイスをするユタに対して、
島の神事・祭事を司るのが「ツカサ」。
今度は池間島のもとツカサのお話を聞きに行って来ました。

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ツカサは、年間30以上の祭事を執り行うほか、
時にはユタの方からツカサに祈ってもらうように言われてきた人や、
島外から訪ねて来る人のためにも働くそうです。

ツカサはくじ引きのようにして様々な役割の5人が選ばれるということですが、
結局は部落(沖縄では集落のこと)内の神高い人が選ばれる宿命にあるそうです。
その任期は3年。
しかしながら最近では辞退することも出来るそうで、
残念ながら今年、池間島からツカサが出ていないそうです。

と言うのも、ツカサの仕事は多岐に渡るため、その間自分の個人的な用事はおろか、生活を支えるための仕事をする余裕もなくなってくるため、一般的な日常生活を
しながらこの大切な仕事を兼ねるというのがかなり難しくなってきているようです。

池間から分化した他の地域では祈りや願いが簡略化されてきているようですが、
正式に受け継がれている自分たちの仕事は本当に続けるのが厳しいと
おっしゃっていました。

世帯数が減った現代では地域としてもツカサを十分に支えるのが難しくなってきて
おり、任命を辞退する人が出ても、それを責めるわけにはいかないのだそうです。
しかし例え新しい人が出なくても、島にはやらねばならない仕事が沢山あるそうで、
それを結局一番位の高かった彼女がせざるをえない状況がなんとなく続いていると。

根付いた信仰の深さ、祈りや願いの重大性や必要性(ニーズ)と、
現代のライフスタイルのギャップに苦しむ姿を見た気がします。




こうやってお三方の話を聞くと、沖縄の人の(一般的な)宗教観は、
根底に祖先崇拝がありながら、色々な物を受け入れて地域にあわせた形で変化し、
またそれぞれが連携しているのだと思いました。

形式的には仏式が取り入れられながらも、心の支えになっているのはあくまで
祖先であり、地域の神様であり、ツカサやユタが大事な役割を担っているようです。

ユタもツカサも、なりたくてなった訳じゃないと言いながら結局大役をこなして
行かざるを得ないのは、やはり神ごとへの素晴らしさがあるということだと思うし、
どちらの方々も、そのぐらい地域の人にとって大事な存在であるのだと、
改めて沖縄の人々の信仰心の厚さを感じたのでした。


一方、タイで出家・僧侶生活を送りながら、自分の生まれた国の人々の
心のよりどころが一体なんであるかを、自らの足で歩いて分かろうととする和尚。

「自分は棺桶に向かってではなく、
今現在生きている人のためにお経(仏の教え)を読んでいきたい。
タイのお寺で学ばせていただいた、人生哲学としての、日々を生きる指標としてのブッタの教え、タイ仏教の教えを、自分の生まれ育った日本の人々に少しでも伝えたい。」

そう語る和尚は、次の地へと旅立ちました。




私の本当の心のよりどころは、一体なんだろう。
私の生きる意味は、一体なんなんだろう。

ぼんやりとそんなことを思う、雨降りの午後です。



あなたは、どっちへ行くイメージですか?