前回の記事を通して、みんなはどんな風に感じているかに興味を持ったので、この数日間に出合った人々に、冒頭の質問をしてみました。

「死んだらどっちに行くイメージ?」

これに加えて、
「ご先祖様が見守っているとしたら、どの辺から?」

あなたは、どんなイメージですか???



私は、どちらのクエスチョンにも、答えは「上」です。
なんとなくです。
県外出身者にこの質問をすると、ほとんどの人が同じように答えました。

死んだら天に昇るし、ご先祖様は天から見守ってくれている、と。


全く同じ質問を宮古の人にしてみると・・・

最初の質問には、ほとんどの人が水平方向を指さしました。
詳しい方角を聞くと、「東」と答えた人が多かった他、「南東」とさらに詳しく方角を指定した人も居ました。

なぜ方角まで分かるのか、まったく不思議です。
でもみんな、「なんとなく」とか「よく分からないけど北や西は違う感じ」などと答え、誰かから教わったわけではないと口を揃えて言っていました。
え???不思議。
その方向はどこを差しているというわけでもなく、遠い遠い所、なんだそうです(こちらでは遠いところの事をアメリカーといったりします)。

県外出身者の中に二人だけ、水平方向を答えた人たちが居ます。
沖縄風の回答ですが、この二人、神高い人に、「来るべくして沖縄(宮古)に来たね」と言われたことがあるそうです。
わお。



D'où venons-Nous? Que sommes-Nous? Où allons-Nous? 
 (Paul Gauguin)





そしてご先祖様はどの辺にいるか、の質問には、
「ここにも、そこにも、あそこにも、何ならあなたのすぐとなりにも」と、
いつでもどこでも近くにいて見守ってくれているイメージだそうです。
「少し高いところから全体を見ていて、すぐにどこにでも下りてきてくれる」
「普段は仏壇の中に居る」
などという答えもありました。

沖縄の他の島々はどうでしょうか?
私の周りには二人だけ本島出身者が居ましたが、答えは、「上」そして「どこにでも居る」でした。
(これを読んでる沖縄県の人が居たら、是非コメントをいただきたいです?)

沖縄に嫁いで来たお嫁さんは、一六日とかお盆などの色々な行事を通して、先祖をより身近に感じるようになったと話してくれました。


少数派ももちろん居ました。
その方達になぜそう思うかを詳しく聞くと、大人になって色々見たり考えたりするようになってからそう思うようになったとか、灰になるから上という人も、土に還るから下という人も居ます。



私たちは、生まれ育った土地の習慣や行事、または何気なく聞いてきた両親祖父母の言葉から、死生観を身につけているのではないでしょうか。

死後の世界に対する感じ方が、私たちの日々の暮らしの中に自然に入っていて、それに基づいた物の考え方や行事などが今を生きる私たちを支えているなんて、面白いと思いませんか?

特定の宗教を意識していなくても、私たちにはそれぞれの信仰があるのです。

ちなみに、カナダ人の友人に同じ質問をしてみたら、「死んだら上(宇宙)に行く」、「大好きなおじいちゃんは私をガイドしてくれていると思うけど、先祖が見守っているという考え方はない」とのことでした。

セネガル人の友人は、「死んだらパラダイスに行くけど、パラダイスは右にある、ヘルは左」、「自分をいつも見ているのは神だけ、でも先祖のためのイベントも毎年あるよ」と答えてくれました。

面白いですね。
「先祖が見守ってくれているとしたら」なんていう問いかけにすんなり答えられる時点で、それが日本人独特の信仰なんですね。



上の絵は、ゴーギャンが人生の一番辛い時期に描いたといわれる不朽の名作
我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?』(1897)

この疑問に答えようとしたのが、信仰や宗教なのではないでしょうか・・・。
宗教学を勉強してきたわけでもないので、無責任に書いているだけのことですが。

いずれにせよ、それぞれにはそれぞれの信仰があり、感じ方は違っていても、それはそれぞれの問題であって、要は、自分が自分の信仰や考え方に満足しているかどうかが大切なんじゃないかと思います。
それが心の健康につながるんじゃないかと。


WHO(世界保健機関)は、以下のように健康の定義を提案しています。

「健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。」
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

太字で書いたこの「スピリチュアル」に健やかというのが、つまり、「自分の出生に対して落ち着いて居る状態」なんだそうです(おばけとかとかそういう不思議系の話ではありません)。

この問いに対してそんなに大げさに考えなくても、自分がどこから生まれたかという答えのひとつは、「お母さんのお腹から」であるわけで、それをきちんと認識できることも「スピリチュアルな健やかさ」のひとつかなと思います。

そして今を生き、どこかへ向かう。

逆に、いつか子供を育てるのならこういった面での健やかさにも責任あるなあと思いました。
やっぱり親からの影響が一番大きいのですから。



宮古島(沖縄)で生まれ育った多くの人々は、この「スピリチュアル」な面を年間を通して学んだり、これに感謝したりすることで普段から身近なこととして当たり前にとらえているようです。
そういう意味での健やかさを自然な形で受け継いでいるのんだなぁと思ったのでした。