飛行機と船を乗り継いで、波照間島へ。
先日黒糖を送ってくれた、大好きなおじいに会いに行ってきた。

おじいはもと船乗りで、今は自分で建てた素泊まり民宿[西浜荘]をやっている。



4年ほど会いに行けずにいたので、波照間に着いたときは、
おじいに会える!と思って喜びがこみ上げた。

が、おじいはお出かけ中・・・。
3時半の船で行くって言ったのにぃ?。

しばらくすると、愛車のカブで帰ってきた。
「おじい!会いたかったよ〜!!」と大喜びの私に、
「魚 とってきたんだよぉ。」
淡々と、荷台から段ボールを下ろし、魚を並べはじめるおじい。

そう、おじいはいつ会っても日常通りなのだ。



「おじい、元気だった?」

「うん 元気だったよぉ。
 この魚はぁ ここにこんなのが付いてるよ。
 こっちのはこんな目をしている。タコも2匹とったよぉ。」

おじいは挨拶もそこそこ、ひたすら魚の説明をする。
常にマイペースだ。

でも地元の人が言うには、
3週間ほど前から、私が来ることを嬉しそうにみんなに話してくれていたそうだ。

「ほら こんな眼鏡付けて潜るんだよぉ。」


おじいの道具はみんな、使い込まれて味がある。








久しぶりに行ってみて気付いたのだが、私にとっての波照間島は、
西浜荘の入口のベンチに座って見える景色と、
おじいの居る使い込まれた台所(屋外に設置されている)、
そしてその奥にある2畳ほどの小上がりだ。

よく考えてみると、あんなに小さな島なのに、
唯一の観光施設・星空観測タワーにすら行ったことがない。
今回の滞在中も、ニシ浜に1度行ったくらいで終わってしまった。

でも私はそれで充分なのだ。
このおじいの魚の説明を聞いたり、畑からとったヘチマをむく横でおしゃべりしたり、
漁の網に絡まった珊瑚をひたすら外したり、
いつも作ってくれる素朴で美味しいごはんをご馳走になったり、
食休みをするおじいの隣に座っていたり、そんな時間が何よりも好きだから。




まな板も、鍋も、箸も、手作りのウロコ取りも、みんな使い込まれている。
古くて傷だらけで、大切にされている道具たち。

夕方になると、新聞紙を敷き詰めた小さな小さな小上がりに、
おじいと手伝いの女の子と3人で、膝を立てて座る。
カジキと採れたて大根の汁が入った鍋を囲んで乾杯だ。



「おっじいと 一緒に あっり カンパ?イ♪」

4年前も使っていたこのフレーズ、今でも毎日二人で楽しんでいるそうだ。
グラスにビールをつぐたびに、その日そこにいるひとり一人の名前を入れながら。

今はバージョンアップして、このあとに、

「えいやっはっ! やい! やい! ぃやい!」

という、棒踊りのフレーズにあわせて、
あと三回乾杯する手順(3回目はちょっとため気味に)が加わっていた。

毎日毎回繰り返すわけだけど、
これをやった後の何とも言えない和んだ空気が好きだ。




入口のベンチに座っていると繰り広げられる、日常のヒトコマがまた素敵。

とある夕暮れ、軽トラが止まったと思ったら、何かを置いて、再び走り去った。
さっき、「魚要るかぁ?」と聞いてきた海人だ。

無言で立ち去ったその跡には・・・



う〜ん、いたってシンプル。

これをまた、無言で受け取るおじい。
晩の刺身が増えた。

毎日刺身を食べる。
タコ・カツオ・イラブチャ・・・どれも新鮮だ。

「お腹いっぱいになって あと2切れが入らないときは
 スシにすると いいんだよぉ。」

そう言っておじいは、炊飯器からごはんを一口分よそり、刺身を乗せて食べる。
そのアバウトさが大好きだ。
そして実際その「スシ」は、満腹のお腹にあと数切れ入るのだ。





こんな風にして私の滞在は過ぎていく。

大したことは何もしていないように見えて、特別な時間だ。
ここに居ると、いつも大切な何かに触れたような気がする。

今回の一番の思いでは、おじいが揚げた豆腐だ。

「石垣に行けば 揚げた豆腐でも なんでも 店に行けば売ってるけどぉ
 島には あんまり ものがないから 自分でなんでもやるんだよぉ。」

揚げたての豆腐を、ごはんの上に乗せてくれた。
そこにサッと醤油をかける。
油と醤油がごはんの上でいい具合にとろけ、
こんなに美味しいものがこの世にあったのか、と感動した。

シンプル イズ ザ ベスト。
おじいはきっと、こんな言葉、必要ないんだろうな・・。



食休みするおじいに聞いた。
「おじいは旅行には行かないの?」

「毎日 働くのが 一番さぁ。
 働いてぇ たまに休んでぇ ごはん食べて 寝るのがいいんだよ。」






5日目の朝、帰りの船の時間だ。
波が3mに達し、念のため、なんとか出てきた1便で帰ることにしたのだ。
おじいは自転車のタイヤに空気を入れている。

「おじい、もう行かなきゃ。色々ありがとね。また来るからね。」
別れを惜しむ私に、ちらっと顔を上げて一言。

「はぁい いってらっしゃい。」


そう、おじいはいつ帰っても日常通りなのだ。