雨が止んだ
  だからといって
  晴れているのかどうか 私には分からない


  覚えている事

大人しい私のとーちゃん(舅)
主人も大人しい性格ですが これはとーちゃんに似たんだな。

あまり、喋りません。
お酒も、ほどほど。

私の苦手な宮古特有の荒々しいイントネーションがあまり出ないので
とーちゃんと話していると気が楽でした。

主人と結婚するまでの数年を海外で過ごす事の多かった私(アジアに限る)に
「じゃあ、嫁子はどこでもやっていけるな。宮古島なんか楽じゃないか?」と満面の笑みで話していたその笑顔を
今も強く覚えています。

だって 『やっていけるかこんな島で』 と 思っていた矢先だったんですもの。うふ。

オボエテル

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いつしか私はあまり、実家へ行かなくなりました。
せいぜい、週に一度。
その度にとーちゃんは笑顔で 「いらっしゃい」と嬉しそうに笑ってくれました。

子供達はあまり義両親になつかなかったのを、かーちゃん(姑)は
「家に連れて来ないあなたが悪い」と(ここは方言で・・なんとなく言っている意味は解りました)揶揄していましたが
でもとーちゃんは笑っていました。

「子供達は自分の家が好きなんだよ。」と。

すみません。連れてくるようにするから・・・。ごめんなさい。

こんな調子で毎回実家へ行くのが・・・ 「ヤダー」 とだだをこねたくなりましたが
ほーんーまーに子供らは義両親になつかんかったので、なんとか会わせなければと 必死でした。
 
  オボエテル

そんなある日
私が病に伏しました。

気が付けば 病院のベッド。
目が覚めたらまず かーちゃんの顔が見えました。
笑顔で私を見るかーちゃん。 「あ、かーちゃん」

それからとーちゃんが、廊下からちょこちょこっと病室に入って来て
「良かった。起きた。」と やはり笑顔でそれだけを言い
すぐに病室を出たとーちゃん。

すると 子供達を連れてきました。
子供達はとーちゃんの両手を握って私の元へ。

いつのまに。そんなに。あれま。

こんな事で いきなり180°変わるもんか。ふふ。あんなに悩んで損したな。

もひとつ びっくりした事・・・。
ついでにちゅうか いや、めっちゃついでやわ。
関西のおかんがいました(爆)なんでっ(爆)ここどこ!?(爆)

・・・私が倒れたからと 急遽関西から母を呼んだとの事。

関西の実家は 宮古と180°違い、少々病気をしようが
「ふーん」で済ます軽目の傾向にあるので そのおかんをいかようにして来させたのか・・・。
恐るべし。

 私「おかん・・なんで来たん?」

 おかん「・・知らん・・。あんたが死にそうって聞いて急いで来たんやけど。」

 私「えっ!あたし死ぬの!?」

(カルテ=○○貧血)・・これで、死なん・・・。

おかん「何で来たんかよう分からん。せっかくやし、観光してくるわ。ほな、明日また来るよってに」

ちょっと。病に伏している娘の身の回りの世話をしようとこれっぽちも思わんのか。

母にバイバイと言った後、涙が溢れました。
久しぶりに会ったせいもあるし、懐かしい生関西弁。
誰にも見られんように こっそり泣きました。

子供達の声が聞こえました。 おばーちゃーん・・どったらこったら・・
ドタドタドタドタ・・・(こらー廊下を走るな・・)と思ったら
とーちゃんが子供たちを叱る声が聞こえました。方言で、優しく。

子供達のことを初めて叱ってくれているその声

それが嬉しくて また 涙 ぽろり

妙なタイミングでしたが、それ以来とーちゃんらと子供達の変な壁が、無くなりました。

 (↑壁?何この画像?↑)

私が感慨にふけっていると・・・・
やかましい関西弁が・・・・お・おかんだ・・(-_-;)

「ちょっと!あんた、なんか買うてきたろか?聞くん忘れとったから戻ってきた!」

なんもいらん。なんも要らんよ、おかん。それより
静かにして。皆、あなたを見ている・・目立ってる・・。

義両親が、苦笑いをしつつ
「嫁子のお母さんは元気だね。嫁子も負けてたらダメだね」

うん。やかましい母ですみません。な・慣れてね・・。真逆だけど・・。

 ワスレラレナイ

その 

「やかましく」「元気な」 おかんがもうすぐ島に来ます。

今 病に伏している とーちゃんに会いに。


うちのおかん 元気やで。とーちゃんと同い歳なんやで。


とーちゃん、

負けたら


あかんで


 オボエテル?