02/10: GIVEN & GIVE
おじいは、西浜荘という素泊まりの民宿をやっていて、
6年前にたまたま泊まったのがきっかけで、仲良くなりました。
ここ数年なかなか会いに行けなくて居たのだけれど、おじいはお盆のお供えで超食べ頃になったパイナップルや、朝採ったばかりのゴーヤを送ってくれたり、私は波照間に行く旅行者に手紙を渡したり・・・そんな感じで交流は続いていました。
去年、おじいから初めて手紙が届いて、「元気ですか、おじいは元気で
毎日海に行っています。タコを5匹捕りました・・・・身体に気を付けて。」などというなんでもない文章と捕れた魚の写真を見ていたら、なんだか心がポカポカしてきて、「よし、来年こそ春になったら会いに行こう。」という決意が固まったのでした。
そして先日、石垣行きのチケットを買ったからねと電話をしたら、
「黒糖、いるかぁ??」と、おじい。
「いるいる!でも、もうすぐ行くんだから、その時にもらうよ。」
って言ったのに・・・・
おじいから小包が。
中身は・・・全部黒糖。
黒糖×15。
どーすんの、こんなに!
製造年月日、20.2.02 わーいできたての黒糖だ!
早速お礼の電話をかけました。
「今年はぁ 収穫がぁ 遅く始まったんだよぉ?。
だからぁ 送るのがぁ 今になったさぁ?。
もっと欲しかったらぁ また送るよぉ。」
「おじい、もういいよ、1年分もらったよ。」
「そうかぁ? おふくろ(さん)に 送ったらいいさぁ。
喜ばれるさぁ?。」
きっとおじいは、宮古にも黒糖はあるとか、こんなに沢山どーするとか
そんなんじゃなくて、ただ、あげたいと思って送ってくれたんだろうなぁ。
早速根菜類を煮て食べました。
コクがあって、とってもおいしかった。
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中学生の時、年度末に発行される冊子の中に
先生達のひとこと集が小さく載っていたんですけど、
その中のある英語の先生の言葉が、今でもずっと心に残っています。
「GIVE & TAKE は、まず GIVEが先。」
当時は中学生らしく、何かとうるさいその先生はちょっと嫌われていたんですけど、
私は、卒業時にふと片隅で見つけたこの言葉に子供ながらに感銘を受け、
担任にもなったことないこの先生の名前が記憶に残りました。
本来この言葉は譲り合いの精神を表しているのかも知れませんが、
私たちは、もらおうとすることには忙しいくせに、あげるという事に関しては、
もったいぶったり面倒くさがったりするものはないでしょうか。
「してくれて当たり前なのになんでできないの?」
「私はこんなにやってるのに。」とついつい思ってしまう。
でも、実はお互いがそう思ってたりして。
本当はもうすでに十分もらっているのに、それが当たり前になってしまうと
つい、「TAKE(取る)」の心に支配されてしまいます。
せっかくの「GIVE(与える)」がいつの間にか、「TAKEのためのGIVE」に
なってしまい、相手が思い通りに反応してくれないと腹を立てます。
自分が気持ちよく暮らすためには、私たちはすでに「GIVEN(与えられている)」
であるという気持ちを、常に忘れてはいけないんだと思います。
そうして自然と当たり前ににじみ出る「GIVE」の心。
この際「TAKE」は忘れたい。
だから 「GIVEN & GIVE。」
人に対しても、ものに対しても、自然に対しても。
無理をしてまでしなくていい、
余裕があるときに、余裕があるものをヨユーで差し出す、そんな「GIVE」。
そこにあるのは、感謝や愛情といった、言葉に出すには恥ずかしいかも知れないけど、一番シンプルで大切な気持ちなんだと思います。
その気持ちは自分自身にも返ってきて、
それがまた心の余裕にもつながるんだと思います。
去年は沢山反省しました。
今年は特に心に留めていたいなあって思っています。
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いつも野菜をくれたり親切にしてくれる近所のおばあに恐縮すると、
「うちの娘も内地に行って、あちこちで色んな人にお世話になってるんだから、
これは当たり前のことなんだよ。」と言いました。
つまり、そういうことなんだと思います。
wrote:
おばあたちは、GIVEを自然にやっているけど、
これまでの「されたからする」んではないのが
分かるよね。
いただいた気持ちを、次につなぐのも
GIVEになるのかな?
意識することで、自分の行動も考えも変わってくるかも。