あけましておめでとうございます。
お正月で帰省中の実家よりお届けしています。

先日、ふと、こんな写真が出てきました。
年末に荷物を整理していたら出て来たそうです。



う・・・これは・・・  誰(笑)?


私は4人兄弟なので、この見た目では判別が難しかったのですが、よく見ると、
日付が私の誕生日ではありませんか!
なんと、これが私の生まれた日(か次の日?)の写真だったのです。

私には出産経験がないので、生まれたての赤ちゃんを見たことがないし、
ましてやこれが自分と思うと、不思議で不思議でたまりません。

このチビが、この大きさになったわけ(今でもチビだけど・・・)?

赤ちゃんはこの時期、人生で一番大きな変化が起きているのだそうです。

まず第一に、オギャーと生まれるその一声で、肺呼吸を始めるそうです
(それまではお腹の中でぺしゃんこだった肺に一気に空気が入るとか)。
それに心臓を4つの部屋に分けたり、なんだかんだと忙しいそうです。

おおー赤ちゃんてすごいんだな。
っていうか私か、これ。

自分の生まれた姿を見て、命の不思議をあらためて実感したのでした。




私は、ワン!ツー!スリー!ですんなり生まれてきたそうです。

なぜ知っているかというと、子供の頃から何度も何度も母に聞かされたからです。
帝王切開だったり逆子だったりした他の兄弟たちも、
きっとそれぞれ同じように聞かされてきたことでしょう。

母にとって、私たちが生まれてきた時の記憶は、
いつまでも色あせることのない思い出なのでしょう。
命が誕生するということは、それだけの感動的出来事なんですね。


● 

その数日後の昨日、朝のニュースショウで、飲酒運転の車から追突され、
幼児3人が犠牲になった事故の問題が取り上げられていました。

この問題で話題になっているのは、危険運転致死傷罪が否認されたことです。
TVや新聞のニュースでは、
「これだけのひどいひき逃げ事故」で、「幼児3人もの命」をうばったのに
「危険運転致死傷罪が適用されない」という点が大きく取り上げられています。

このニュースショウでは、幼児達の母親であるかおりさんからの普段は少し編集
されているであろうコメントが、ロングバージョンで放映されていました。

「危険運転致死傷罪が適用されなかったからといって、
 命がそれだけの価値しかないということではないんだよと伝えたい」

「奪われた命は、ずっとつながってきたもの。自分たちを含め、おじいちゃん、
 おばあちゃんを含め、長い間受け継がれてきたもの。そして紘くん、倫くん、
 紗彬ちゃんが今後何十年も生きて、またつながっていくはずだったもの」

と、ときおり言葉を詰まらせながら話していました。
(ごめんなさい、TVで観ただけなので、正確とは言えません。)

判決がどう決まろうが、法律がどう解釈されようが、
失われた命の重大さは変わりません。
彼女は、あらゆる報道が「幼児3人、幼児3人」と繰り返す中で、
何度も、一人一人の名前を挙げながら話していました。




私には子供が居ません。
まだ、を付けるべきかどうかは分かりません。

最近は周りの女友達が次々に妊娠、出産して、子育て奮闘している姿を見ると、出産できる立場にあるのにそれをしていない自分について、色々考えます。

私は、先祖代々、人類がつないで来た大切なものを、
無視していることになるんじゃないだろうかとか・・・。

歳とったら寂しいだろうな・・・
でもそのために子供を作るなんてエゴじゃないかとか・・・。

子供が欲しくてもそれを許されない人だっている・・・。


そんなことを考えているとき、ある人が言いました。

「マザー・テレサは独身だけど、世界中の人からマザーと呼ばれて、
 あらゆる素晴らしいものを、沢山の人につないでいった」

マザーという呼び名は、修道女〈シスター〉の母、女性指導者の意ですが、
彼女の場合はその枠を越えて、
宗教や人種を越えた多くの人から、マザーと呼ばれています。

確かに、彼女はもう亡くなってしまったけれど、
彼女の命はこの地球上のあらゆる場所で受け継がれ、今もまだ生きています。
そして現実に、多くの命を育み、つないでいます。




昨日のニュースショウのお母さんのコメントを聞いて、色々な思いがめぐりました。

「命をつなぐ」ということが、どれだけ重大なことか。
そしてその命の重さについて考え行動することが、どれだけ大切なことか。

マザー・テレサは言いました。

「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、
 どれだけ心を込めたかです。」


私たち全体が、色々な形で今ある命を守り、育てていく。
それが命をつなぐことにつながるのだと思いました。