07/20: 本当の宝箱
「ちょっと大きくなっちゃったから直して」と
父からサマージャケットが送られてきました。
正確に言うと、メインのジャケットは片隅で、
母が地元のおみやげを沢山詰め込んだあったかい箱が届きました。
●
母は手先が器用で、子供の頃遊んでいた積み木は工事現場からもらってきた
木片を磨いて作ってくれたと聞いているし、縫い物を教えてくれたり、
兄弟それぞれの絵本を作らせてくれた事もありました。
そういえば新聞紙を溶かして紙粘土を作ったこともあったな・・・。
物を永く大切に使う人なので、子供の頃から靴下や色々なものを
丁寧に直してはまたピカピカにしているその姿を見て、私は育ちました。
そんな私の一番の趣味は、縫い物です。
「どうせ着てなかったやつだから適当で。壊しちゃってもいいよ」
と父は言っていたけれど、某イギリス有名メーカーのジャケットじゃないか。
慎重に、写真を撮って解体して、丁寧に仕上げることにしました。
縫い物をしていると無心になれるところが心地よくて好きです。
時折、幼い頃のことを色々思い出しました。
●
母の裁縫箱はお歳暮のビールの大きな箱で、グラデーションに並んだ糸や、
色んな針に色んなはさみ、着なくなった服からはずした色とりどりのボタン、
端切れやよく分からない道具などが整頓されていて、私には宝箱に見えました。
子供の頃はバービー服を沢山作ってもらい、
きれいで丈夫なお菓子箱で作った両開き・取手付きクローゼットの中に、
厚紙で作ったハンガーにかけて大切にしまっていました。
幼い私が見よう見まねで作った、原始人の服みたいな物も(笑)。
1年生くらいの時には、サンタさん(!)に裁縫箱をプレゼントしてもらいました。
その後ずっと、何度引っ越しても持ち歩き、30歳になるまで使っていましたが、
さすがにどうしようもないくらい壊れてしまって泣く泣く手放したのです。
今使っているのはシンプルな工具箱ですが・・・いつか素敵な宝箱にしたいな。
道具を手に入れると、どうにかして自分の着る服を作ってみたり、
持っている服をアレンジしたりしていたように思います。
おそらく大人になった今見たらあり得ない質とコーディネートだったと思いますが、母も父もゴキゲンでそれらを身につけている私に口出しをしませんでした。
4年生くらいの時には、夏休みの工作(?)でネクタイを作って
担任の先生にプレゼントしました。
やっぱり大した出来映えではなかったはずですが、
先生は、授業参観の時にそのネクタイを着けてきてくれました。
中学生になると制服のスカートを短くすることが流行りだし、
何人かの女友達から裾直しを頼まれました。
母は注意もせずに、「厚手だからここの裏を切っておくとすっきりするわよ」
などというアドヴァイスをくれたりしていたのです。
こんな風にして包容力ある大人たちに見守られ、
私の「物づくりが楽しい」という自由な気持ちは育てられたのでした。
●
そんな私がとても大切にしている物があります。
カラフルな刺繍糸がぎっしり詰まった、
母が子供の頃に、母のお父さんにもらったという外国のお菓子箱。
若い頃に作ったと思われる刺繍のサンプルも入っています。
糸はその時からの物もあるし、
ミサンガ作りにはまっていた中学時代に私が自分で買い足した物もあります。
普段そんなに刺繍をすることがないので、中身はほとんど減りません。
この箱には母の旧姓でのフルネームが入っていて、
何度も何度も修理した跡でボロボロです。
でも、私にとっては、こんなに美しく輝いた箱は他になく、
いつまでも大切に持っていたい宝物です。
●
こんな風に色々な思い出を振り返ってみるとふと、
本当の宝箱は、実は、私自身なんじゃないかという気がしてきました。
だって大勢の素敵な人たちから、ありとあらゆる素晴らしいものを次々にもらって、
私の小さな身体は宝物でいっぱいなんですもの。
つらかった事を思い返してみても、同じ気持ちです。
そんなこんなで、今日も私は、元気に楽しく暮らしています。
父からサマージャケットが送られてきました。
正確に言うと、メインのジャケットは片隅で、
母が地元のおみやげを沢山詰め込んだあったかい箱が届きました。
●
母は手先が器用で、子供の頃遊んでいた積み木は工事現場からもらってきた
木片を磨いて作ってくれたと聞いているし、縫い物を教えてくれたり、
兄弟それぞれの絵本を作らせてくれた事もありました。
そういえば新聞紙を溶かして紙粘土を作ったこともあったな・・・。
物を永く大切に使う人なので、子供の頃から靴下や色々なものを
丁寧に直してはまたピカピカにしているその姿を見て、私は育ちました。
そんな私の一番の趣味は、縫い物です。
「どうせ着てなかったやつだから適当で。壊しちゃってもいいよ」
と父は言っていたけれど、某イギリス有名メーカーのジャケットじゃないか。
慎重に、写真を撮って解体して、丁寧に仕上げることにしました。
縫い物をしていると無心になれるところが心地よくて好きです。
時折、幼い頃のことを色々思い出しました。
●
母の裁縫箱はお歳暮のビールの大きな箱で、グラデーションに並んだ糸や、
色んな針に色んなはさみ、着なくなった服からはずした色とりどりのボタン、
端切れやよく分からない道具などが整頓されていて、私には宝箱に見えました。
子供の頃はバービー服を沢山作ってもらい、
きれいで丈夫なお菓子箱で作った両開き・取手付きクローゼットの中に、
厚紙で作ったハンガーにかけて大切にしまっていました。
幼い私が見よう見まねで作った、原始人の服みたいな物も(笑)。
1年生くらいの時には、サンタさん(!)に裁縫箱をプレゼントしてもらいました。
その後ずっと、何度引っ越しても持ち歩き、30歳になるまで使っていましたが、
さすがにどうしようもないくらい壊れてしまって泣く泣く手放したのです。
今使っているのはシンプルな工具箱ですが・・・いつか素敵な宝箱にしたいな。
道具を手に入れると、どうにかして自分の着る服を作ってみたり、
持っている服をアレンジしたりしていたように思います。
おそらく大人になった今見たらあり得ない質とコーディネートだったと思いますが、母も父もゴキゲンでそれらを身につけている私に口出しをしませんでした。
4年生くらいの時には、夏休みの工作(?)でネクタイを作って
担任の先生にプレゼントしました。
やっぱり大した出来映えではなかったはずですが、
先生は、授業参観の時にそのネクタイを着けてきてくれました。
中学生になると制服のスカートを短くすることが流行りだし、
何人かの女友達から裾直しを頼まれました。
母は注意もせずに、「厚手だからここの裏を切っておくとすっきりするわよ」
などというアドヴァイスをくれたりしていたのです。
こんな風にして包容力ある大人たちに見守られ、
私の「物づくりが楽しい」という自由な気持ちは育てられたのでした。
●
そんな私がとても大切にしている物があります。
カラフルな刺繍糸がぎっしり詰まった、
母が子供の頃に、母のお父さんにもらったという外国のお菓子箱。
若い頃に作ったと思われる刺繍のサンプルも入っています。
糸はその時からの物もあるし、
ミサンガ作りにはまっていた中学時代に私が自分で買い足した物もあります。
普段そんなに刺繍をすることがないので、中身はほとんど減りません。
この箱には母の旧姓でのフルネームが入っていて、
何度も何度も修理した跡でボロボロです。
でも、私にとっては、こんなに美しく輝いた箱は他になく、
いつまでも大切に持っていたい宝物です。
●
こんな風に色々な思い出を振り返ってみるとふと、
本当の宝箱は、実は、私自身なんじゃないかという気がしてきました。
だって大勢の素敵な人たちから、ありとあらゆる素晴らしいものを次々にもらって、
私の小さな身体は宝物でいっぱいなんですもの。
つらかった事を思い返してみても、同じ気持ちです。
そんなこんなで、今日も私は、元気に楽しく暮らしています。
wrote:
個性的な感性をまわりの人たちに大事に育まれて今のsorairoが作られたのかな。
お母さん、素晴らしい考えを子供にちゃんと伝えられててすごいね。
そういうお母さんに憧れるなぁ。。。
使い捨ての時代だけど、思い入れのあるものは捨てられないし、ぼろぼろでも輝いて見える。見てるだけで笑顔になれる思い出がいっぱい詰まった物たちだってあるんだよね。
シンプルに暮らす中で輝くものも持つ…っていうsorairo的暮らし、理想的だな。