こーのみちーは いーつかきた道 あーあ そうだよ



はじめまして。。

宮古島オンラインの長濱さんよりごしょうかいにあずかりました 「島嫁さん」 こと 島嫁さん です。
あ!sorairoさん、4年間、ほんとにお疲れ様でした!

こんな私が後を引き継ぐんですが・・・
なぜこのコラムに、こんなにフツーの主婦の私?・・・と 正直、未だ意味不明です。
BOSS曰く(BOSS?) 「直感」 だ そうです。
直感って言葉は嫌いではありませんが。。。が。。。 
ま いいか・・・。(いいのか???知らんよーーーーー)


えと、私の事は、、、島嫁さんと 呼んで下さい。 

島嫁と称するからには、 そうです。所謂大和嫁です。(←県外から嫁いできた嫁。あっ、嫁嫁になっちった)


宮古島にきて、10年以上が経ちます。


私は、あまり物事をカウントしたり 記念日とかそういうのを きちんとしない人なので (※1)
娘の年齢を数えてようやく 「あ。10年過ぎたんだ。」 と 気づく次第でございます。


今回は 「はじめまして」 なので 少し、自分のコトを書かせて頂きます。

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出身は、関西です。

生まれたのも 育ったのも  学校も 就職も。 

20代半ばに精魂打ち込んだ仕事を辞め、小銭を稼いではプラっと飛行機に乗り、好きな国をプラプラ・・・旅をすることが好きでした。

そんな生活をおおよそ4年程続けていたら 母から
 「根無し草」 
と 自分の名前の前にまるでミドルネームの様にそんな言葉をつけられて呼ばれるよな 
あの頃は30歳を目の前にしていて 自分の「これから」なんてこれっぽちも考えておらず 
そら、おかんから「根無し草」なんて いち女子として不名誉なミドルネームをもらいますよね。   


     ええ そんなでした。


その頃の私は 関西より上に どこに何県があるのか 日本の地図も曖昧で、
パズルの、群馬県を指さして「これが東京やろ?」 と 堂々と言っていました。

日本の首都の位置すら知らん私が 琉球列島を知ったのは
もう既に足が地に付いていた友人からの (今思えば悪夢のような)1本の電話がきっかけで

      「どうせ暇やろ? オキナワにおいでーや。」

      どうせて。  失礼だなぁ。 

と また プラプラ気分で訪れたオキナワ  


    わぁ。

    おぉ。

    いぃ。


住む。 きーめた。

           



移住を(当時は「移住」という事を大げさに思っていなかった)思い立ったその日に、住居も仕事も一日できまっちゃったりして  
私って  なんやかんやほんとひょいひょいイケテしまうのね なんて エラい勘違いをしてオキナワに 住み始めたんです。

 また 気が変わったら 関西に帰ろう といった 綿菓子よりも甘い軽い気持ちで


しかし そこで出会ったのが 現在 私が宮古島に住むハメになる原因を持った 夫。


あの時、声をかけてしまったから


塀の上に寝転がっている男がいて (あ!危ない人ちゃいますよ。)

そうだ、友達の引っ越し祝いの時だ。



  「何をしてるの?」 と


  「星を見てるさ〜〜」 と


そんな、返事をされたから


ああもう。言いわけみたい。


とどのつまりは、その人と結婚をして 現在に至るんです。


現在に至る。


ま  さ  か  宮古島に来るとは。ってこと・・・         null

宮古島の存在すら知らなかったのに。
「宮古島には道路に牛が歩いている」 と 変な勘違いをしていたのに。

(チベット旅を 計画していたのにーー。)


    マタ キガカワッタラ カンサイニ カエロウト


で。

宮古島に移住(夫からすればUターンですね) が決まった時も さして深く考えていなかった。
ふらりと住み着いたオキナワの延長線上(個人的に)にある、いつもの みち 程度に。
あまりに安易な思考しか持ち合わせていなかった。

  そういえば。と、しばらく会っていなかった関西の母へ、連絡をした。

  「宮古島に、住む事になった」 と告げると

突然結婚をした時も 「あんたらしい」と、驚きながらも、ハハハと笑い
あちこち放浪していた時 好き放題な娘に呆れながら根なし草とあだ名をつけた あの母が



はじめて、泣いた。



   ウマレソダッタ アノバショガ トオク ナッタ  
     
         いまごろ?



はい!書き過ぎですね。どんだけ自分好きなんでしょうね。(って多分ちょいちょい書きます・笑)
長文をご精読頂いて、ありがとうございます。
次回は「関西人、宮古弁に敗北す の巻」(予定は予告なく変更される場合があります・笑)です多分。

では、また。。


※1=結婚するまで主人の本名も 年齢も知らなかった(年下だった)。結婚した年月日も 覚えていないよう。。