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2007/01/30

  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を現す

 有名な平家物語の冒頭の一節に出てくる「沙羅双樹」とは、椿の一種だ。(正確には、夏椿で、京都のどこかのお寺で今でも花を咲かせるらしい。)
さらに遡ると、日本書紀や万葉集でもすでに椿のことが詠まれていて、かなり古くから親しまれていたことがわかる。
 戦国時代には品種改良が進み、豊臣秀吉は居城である伏見城の庭に、全国の珍しい椿を集めて植えさせていたらしい。

 一方で、今日でも「TSUBAKI」という名のシャンプーが人気を集めているあたりから見ても、日本人は昔も今も椿という植物に強い関心を持っている。つまり、日本を代表する植物の一つといっても過言ではない。



 一月下旬の宮古島では、ヤブツバキの花が、庭先や公園などに、よく見られる。照葉樹で強い日差しに耐えられるような葉をしていることから、元々、温かい所に適した植物なのかもしれない。

 たくさんの形や色がある中でも、ぼくは一番オーソドックスな、深紅のヤブツバキが好きだ。小ぶりで、芯を守るような鐘状の花びらのものだ。違う角度から見ると、シドニーのオペラハウスのように見えるものもある。厚手の葉の深みのある濃い緑と、一口では表現できない渋い赤色のコントラストが何とも情緒的で趣がある。ずっと見ていると、心を掻き乱されるような気さえする。

 椿の花はなんと言っても散り際に、特徴がある。

 それゆえ、武士に好まれ書院や床の間に飾られたり、茶室に生ける花として、日本文化の礎を担ってきた。「武士道」や「わびさび」というものは、日本人の美意識をのみならず、自然観、死生観を現していた。

 「盛者必衰の理を現す」

 これは真理である、とぼくは思う。
 たまには、椿を眺めながら、生きることや死ぬことにと向き合うのも大切なことではないだろうか。

Posted by: kamome カテゴリー: 植物

2007/01/20

『100kmマラソン』

 先週の土曜日に、宮古島100km遠足というマラソン大会に出場した。
 
 なぜこんな超人的な大会に出場したかというと、大阪に住む大野さん夫婦に、いっしょに走ろうと誘われたからだ。

 ぼくは体調管理のために、たまにジョギングしていたし、1ヶ月前になんとかフルマラソンを完走していた(半分近く歩いて、制限時間ギリギリでゴールにたどり着いたという感じだったけれど)。
何よりも、たまにしか会えない友だちと同じ大会でいっしょに走りたいと思ったからだ。
 それでも、100kmなんて自転車でも漕いだことのない距離なので、50kmまで頑張って、リタイヤしようと思っていた。



 ぼくらは、朝の3時半ごろ起きて、簡単な朝食をとり、四時頃には家を出てスタート地点へ向かった。擦れちがう車もなく、辺りは夜の闇に静まりかえっていた。

 競技開始は5時だったが、そこ頃はまだ真っ暗で夜が明ける気配すらしていなかった。北斗七星の柄杓が北の空にドンと横たわり、その西側にふたご座が並んで見えた。ぼくは、まだシャキッとしないまぶたをこすりながら、星と地面を交互に見ながらゆっくり走り始めた。古代ローマ軍の行進速度くらいのスピードでゆっくりゆっくり走った。
こんな朝早くにも、与那覇周辺では沿道で声援を送ってくれて、心が温まった。

 夜が明けたのは、7時頃で狩俣へ向かう途中くらいだった。ゆっくりゆっくり走ったせいか、暗い中を走ったせいか、あまり疲労感はなかった。時間の感覚があまりなく、2時間も走ったのが信じられなかった。

 池間大橋を渡っている時、(大野)淳子さんとすれ違った。彼女はすでに池間島を一周し、宮古島に戻るところだった。飛び上がって両手で大きく手を振り、がんばってと声を掛けてくれた。

 池間島を走っている時に、30kmの看板が見えた。前回のフルマラソンの時は、25kmぐらいからずっと歩いていたので、ここを走って通過したときはニンマリとした。

 40km少し手前くらいで、パニパニの関口夫婦が応援に来てくれた。だいぶ、足にきていたけど、関口夫婦の笑顔に元気をもらって、足が少し軽くなった。
このころには、もう歩いているか走っているかわからないくらいスピードになっていた。ずっと歩くというようなことはなかったけど、ずっと走り続けることもできなかった。

 48kmに大きな休憩地点があり、ぼくは滑り込むようにそこへ入った。その時は、早歩きもできないくらい疲労していたけれど、おにぎりや団子汁などを食べ、靴を脱いで足を休めた。
朝は暗くてわからなかったけれど、周りで休んでいる選手たちは、ぼくの親くらいの年齢の人が多く、中には70代ではないかと思われる人までいた。「半分来たから頑張ってゴールを目指そう!」と知らない人同士のはずなのに、みな声を掛け合っていた。



 足が引きづりながらも50kmに到達した。目標を達成できたので、ここでリタイヤしても満足感は得られたのだろうけど、ぼくよりずっと年上の方々が、足の痛みで顔を歪めながらも走っていることを想うと、リタイヤバスに乗ることはできなかった。

 しかし、ここからは5km進むのにも、かなりの時間がかかった。歩くとか、走るとかというより、ただ前進しているということだけが誇りだった。



 東平安名崎の往復5kmの途中で、(大野)貞良さんとすれ違った。ぼくらは、ガッチリと握手した。岬の先端を周りふもとに戻る間に、70kmの標識を通過した。午後5時を少しまわり、走り始めて12時間が経過していた。

 麓のエイドステーションに貞さんの姿があった。ぼくを待っててくれたのだ。ぼくらは相談して、1?2kmいっしょに走って(歩いて)リタイヤすることにした。100kmの奥の深さやインパクトのある選手について話した。二人とも疲労困憊だった。ちょうど大嶺商事の大嶺さんが応援に来てくれていたので、ゴール地点まで送ってもらった。

 淳子さんは、見事に完走していた。ぼくらは70kmでリタイヤしてしまったけれど、とても貴重な体験をしたと思う。僕らの友情に乾杯!
Posted by: kamome カテゴリー: General

2007/01/10

『宮古の成人式』

 みなさま、明けましておめでとうございます。

 お正月の雰囲気は、すでに斜め後ろくらいに過ぎ去ってしまいましたが、改めて、新春のお慶びを申し上げます。そして、みなさまが、健康で実りの多い一年を過ごせることを願っています。


『おとーり風景』

さて、宮古島平良地区の成人式は、1月5日に行われた。宮古には、沖縄本島などにもない独自の成人式の関わる慣習がある。

 成人式と言っても、市民会館かどこで催され、市長が長々と講話をする式典のことではなく、成人を迎える子ども持った家庭で開かれる、言うならば「成人祝い」のことだ。

 家族や親戚が集まり、お祝いをするのは、沖縄本島でも、本土でも、珍しことではあるまい。
 しかし、宮古島では、家族や親戚をはじめ、近所の人や親の友人、会社の人たちまでが「成人祝い」にその家庭を訪れる。そこまで幅を広げてしまうと、本人は誰が誰だかわからないだろう。
 これは、子どもを一人前に育て上げ、成人を迎えさせることができたという、親に対するお祝いといった感じさえする。

 
 ぼくもこの日、職場の上司の家を三軒訪問した。その時の様子を記してみたい。

 まず、家にはいると、普段はふすまで仕切り別々に使っているような広い畳間で宴会のスペースになっている。宮古の一軒家では、新旧問わず、だいたいそういった部屋があるようだ。最大収容人数はだいたい15人?20人くらい。
 そこでは、テーブルいっぱいにごちそうが並べられている。お寿司、揚げ物、煮物、サラダ・・・。空いている所に座ると、客それぞれにお刺身やお吸い物などの料理が出される。とにかく、スゴイ量だ。

 料理を作っているのは、母親と祖母、親類の助っ人らしき女性何人かが台所に入り、盛りつけたり、配膳をしたりしている。忙しいときは、訪れたお客さん(特に女性)もお手伝いをしていた。あたかも、最初からその場所にいたように、お皿を洗っていたりする。

 テーブルでは、当然、泡盛やビール、ジュースなどが振る舞われ、家主の父親がお酒をついでくれる。こちらの方面は、父親の役目だ。
 いつの間にやら、オトーリが始まり、知らないおじさんにお酒をつがれる。飲む。つがれる。飲む。またつがれる。


*酔っぱらっているので、ぶれています。

 ぼくは3軒だったが、地元の人は、5軒、10軒と周る人も少なくない。そして、メリーゴーランドのようにまわるオトーリ。
 翌朝、目覚めると違う靴を履いて帰ってきたりすることも、珍しくないみたいだ。

 そして驚くのは、成人した当の本人に会えたのは、3軒中1軒だった。これも珍しいことではない。

 まぁ、なにはともあれ、成人を迎えた方、成人まで育て上げたご両親に、心からお喜びを申し上げたい。
Posted by: kamome カテゴリー: 生活