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2006/05/31

『新城海岸遺跡』

 新城海岸のすぐそばに、二千年くらい前の遺跡がある。貝塚や陶器、住居跡などの発掘がだいぶ前から行われ、毎年新しい発見があるそうだ。


『グンバイヒルガオが伸びる新城海岸』

 新城海岸は今でも魚の種類が多く、昔の人がこの海岸の周辺で魚や貝を獲り、生活していたことが想像できる。
 今よりも海と人間の関係が、密接に繋がっていて、海を畏れ、海の恵みに感謝し、人生のほとんどを海との関わりの中で過ごしていた時代だ。潮の流れや天候、風の向きなど、気象庁の天気予報より的確な情報収集と状況判断をしていたに違いない。かつて宮古島には、風を表す言葉が100種類以上あったという話を聞いたことがある。
 そんな生活は、宮古島に人が住み始めた太古の昔から、ほんの100年前くらいまで、たぶんほとんど変わらないものだったであろう。梅雨になると、毎年アジサイが咲き乱れるように、広大な自然の一部として、人間の生活が成り立っていた。

 資料によると、発掘されたものの中にサメの歯がある。その歯には穴があいていて、装飾品として使われていたらしい。
 
 昔、サメとの格闘は命がけだったに違いない。サバニ(木造船)より大きなサメもいるし、今のように殺傷能力の高い武器もなかった。『老人と海』に出てくるサメのように獲物を横取りし、今以上に敵視されていたかもしれない。陸地で待つ家族のために、サメと戦い、その証として、色黒の男たちの胸に光る白く歯は、男のプライドそのものだったはずだ。より大きな歯を持つものが、権力を持っていたかもしれない。

 面白いことに、最近、サメの歯のネックレスが若者たちに流行していると聞いた。
ペーパーナイフとして利用するつもりはなく、男らしさの象徴として、身に付けるのだろう。そのものに込められている重みは違うかもしれないけど、二千年前と同じアクセサリーを身に付けているという事実、そしてその感覚はとても面白い。


『shark tooth accessory』
*moby工房にて撮影させてもらいました。

 さて、新城海岸はウミガメの産卵場所としても知られている。しかし、新城海岸を始め、宮古中のほとんど全ての海岸は、漂着ゴミや廃油ボールだらけだ。人があまり入らない海岸になればなるほど、ゴミの多さにうんざりする。裸足で浜を歩けない。
 漂着ゴミだけの問題でもない。護岸工事による砂の減少、土地改良などによる土砂や農薬の流入など、凄まじい勢いで砂浜が破壊され続けている。ウミガメの産卵場所は危機に瀕している。産卵場所がなくなれば、個体数もみるみる減っていくだろう。

 「20年前はもっと産卵しに来ていた」というような話を聞く。このままでは、ぼくたちが「20年前はこの辺りにもウミガメが産卵しに来ていた」という科白を述べないといけないかもしれない。

*moby工房は、お店の前に流木が山積みになっているようなナチュラル系アクセサリーショップです。流木を始め、貝などの手作りアクセサリーがいっぱいあります。店内はヒノキの香りが漂い、とても癒されます。
Posted by: kamome カテゴリー: 海

2006/05/24

『パイナガマより愛を込めて』

 今、パイナガマ桟橋の上に寝そべって、大切な友だちへメールを書いている。

 今日は地平線の辺りが曇っていて、夕陽は見えそうにない。だけど、目の前に広がる空は、まるで平筆で塗られたように一点のよどみもない水色をしている。手に届きそうでもあり、限りなく遠くにありそうでもあった。

 昼間、太陽の光をいっぱい貯めこんだコンクリートは、岩盤浴のようにじわじわと少しずつ熱をはき出している。
 ぼくは、分厚い小説を枕にして、仰向けに寝そべり、体全体で太陽のぬくもりを感じていた。体の芯にある、日々の疲れやストレスを貯めこんでいる部分が(それは、針金ハンガーで作られたハシブトカラスの巣みたいに複雑な構造をしている)、暖められ、ほぐされていくのがわかった。体の一部がコンクリートに溶け出しているようだった。

 ぼくは横向きになり、地平線のあたりを流れている雲を眺めた。東から西へ、まるでTVのスローモーションを見ているように、ゆっくりと流れていった。目に映るものは全て、静寂で微動をだにしなかったので、雲の動きが余計に際だって見えた。大きいものもあれば小さいものもあり、速いものもあれば遅いものもあった。


『宵の口』??パイナガマ桟橋からの景色??

 ビーチの方から、楽しそうに遊んでいる子供たちの歓声と柔らかに崩れる波の音が聞こえていた。徐々に夜に近づいていく空の景色に、最も相応しいバッグミュージックだ。

 夕暮れの涼しい風が吹き始め、汗ばんだ肌を優しく抜けていった。一日の疲れを流してくれる爽やかな風だった。指先から手首、肘、腕と風が流れていくのを感じることができた。言葉にすることができない気持ちよさがそこにあった。
 空の色が徐々に青みを増していき、オレンジ色の街灯が存在感を増していった。


遠くへ住んでいる人たちに、この風の感触を伝えたくて、今回エッセイを書きました。
残念ながら、ぼくのつたない文章力では、伝わらないかもしれません。
それならば、宮古に来て、この風に吹かれてください。


『A STREET LAMP』
Posted by: kamome カテゴリー: 生活

2006/05/17

『南の島の音楽生活』

 スカ、ロックステディ、カリプソ、ダブ、ジャズ、ラテン、ボサノバ、ハワイアン・・・・
 邦楽なら、畠山美由紀、デタミネーションズ、マイスティース、フィッシュマンズ、
 NATIVE、サニーデイサービス、double famous・・・・・


『ROCKSTEADY』

 朝、目覚めて音楽をかけ、ごはんを食べながら音楽を聞く。リズムに併せて歯を磨き、出勤中の車の中は、MY ブームの曲を聞いてゴキゲンになる。(今は、畠山美由紀の『愛にメロディ』)。ちょうど一曲終わる頃に職場に着き、新しい気持ちで一日が始まっていく。

 仕事を終え、「ただいま」と言って家に帰っても、誰も居ないので、とりあえずCDをON(TVは2ヶ月前から故障している)。夕食を作るときは、美味しくできるように明るめな曲をかけ、食事中は音量をturn down。食後のフリータイムは、フリーミュージックの時間だ。  
 本を読む時は、静かめな曲をかけ、缶ビールやワインを飲みながらじっくり聞くときは、少し音量を大きめにする。(お隣りさん、ゴメンナサイ!)
 フレンチブルドックのように耳を立ててスピーカーに向けている。


 先日、ぼくの車に乗った友だちが流れている音楽を聞いて、

「ゆるい音楽が好きだから、ゆるい性格なの?
 ゆるい性格だから、ゆるい音楽が好きなの?」

とぼくに尋ねた。まるで卵とニワトリの話しみたいだ。

 雲ひとつない晴天のドライブには、スカやロックステディがよく似合う。
 心と体を緩ませる裏打ちのリズム、甘くせつないボーカルの声、生の楽器から繰り広げられるメロディ。1960年代の終わり、ジャマイカで一瞬、まるで線香花火のように輝き、消えていった音楽、スカ・ロックステディ。(その後はボブマーリーを始めとするルーツレゲエへと移行していった)。
 その頃のアメリカで流行っていたJAZZやR&Bの影響を受けながらも、カリブ独特の南国らしさ、そして渋さがにじみでている。言い換えれば、陽気さとせつなさが共存している。(簡単に書いてるけど、とてもすごいことだ!)
 ちょうど、ぼくたちの親の世代が、青春時代を過ごしていた頃の音楽を、ぼくらが聞いていると思うと、とても不思議だ。ぼくの子供もロックステディのシンガーになるかもしれない。


『In the mood for CARIBIAN MUSIC』

 太陽が刺すように照りつけ、窓を全開にした車内でも熱がこもっていた。ステレオの音量を上げると、車内の空気が少し涼しくなった。

??????????????????????
オススメCD1:TROJAN ROCKSTEADY BOXSET
(名曲がいっぱい入ったコンピレーションアルバム、安い上にスゴイ!)

オススメCD2:DETERMINATIONS/FULL OF DETERMINATIONS
(ぼくの人生の名曲『UNDER MY SKIN』が入ってます)

オススメCD3:THE MICETEETH/CONSTANT MUSIC
(バランスの取れたミニアルバム。がんばれマイス)
Posted by: kamome カテゴリー: 生活

2006/05/10

『ぼくが沖縄に来た理由(1)』

 忘れもしない7年前、大学3年の秋、ぼくは初めて沖縄の地に足を踏み入れた。
当時のぼくは部活、バイトなどいろんなことに疲れていて、とてもつらかった。二宮尊徳のように薪を背負っている気分だった。

 秋の終わりに、やっと肩の荷が下りて、その反動でとても身軽になった気がした。ぼくは無性にどこかに行きたくなった。どこでもいいどこかだった。そしてスカイメイトを握り締め、羽田空港へ向かった。
 そこには、たまたま沖縄行きの最終搭乗案内のアナウンスが流れていて、吸い込まれるように飛行機に乗り込んだ。ゆったりとした大きな河の流れに身を任せてみようと思った。
 今となってはぼくの人生を今につなげる大きなフライトになった。


『IN THE FLIGHT』

 ぼくは、毛布のようなダッフルコートを抱えたまま、那覇空港に降り立った。
一階玄関の自動ドアが「サァーー」っと開いたとき、亜熱帯の暖かさと湿気が体の中に飛び込んできた。今まで吸っていたものとは違う種類の空気だった。出迎えに来ている地元の人たちは、みな凛々しい顔立ちしていた。
 ぼくは、遠いとこまでやってきたと実感した。旅の高揚感と緊張感があいまって、胸の中の噴火したみたいにワクワクしていた。
 
 それ以降、何度も那覇空港に降り立っているけど、あの自動ドアが開くといつも
「ウワ??、とうとう沖縄にやって来た???。」とあの時のワクワク感が鮮明によみがえってくる。一階に下りる階段から到着出口の辺りは、なにか気持ちを高揚させる特殊な舞台装置が仕掛けられているようだ。


『舞台装置』

 宿を探し、荷物を置いたころには、すでに日が暮れかかっていた。時計をみると、東京ではもうネオンが輝いている時間だった。一日が長くなって、得をした気分だ。
 外へ出ると、気持ちよい風が吹いていた。11月の夕暮れ時だというのに、Tシャツ一枚で街を歩くことができた。ぼくは、夕焼けを追いかけるように、西に向かって歩いていった。

 泊大橋のそばで心地よい海風に吹かれていたら、いつのまにか、風が肌になじんでいる気がした。全てが受け入れられ、全てを受け入れている、そんな感覚だった。
 
 今振り返ってみると、この時、沖縄がぼくの特別な場所になった気がする。
Posted by: kamome カテゴリー: etc.

2006/05/03

『テッポウユリと夜来香(YE LAI XIANG)』

 ゴールデンウィークに入り、島全体が少し賑わいを見せ始めている。
すれ違う車もレンタカーの「わ」ナンバーが増え、大好きなカレー屋「茶ノ間」も駐車に困るほどだった。夏が少しづつ、しかし着実に近づいていた。季節感のないこの島で、季節の移り変わりを感じさせる出来事だった。

 植物たちは、もっと敏感に季節の変化を感じているようだ。


『MY YE LAI XIANG』

 今、テッポウユリが満開を迎えている。海の側でよく見られ、横から見ると鉄砲のように見える(ぼくはラッパの方が似ていると思うんだけど)。甘くさわやかな香りも特徴だ。東平安名崎の大群落もこのゴールデンウィークが見頃だろう。

 先日、友だちが、ユリは夜になると香りが増すことを教えてくれた。なんて妖艶で神秘的な花だ!夜にも虫は鳴いているし、光に集まってくる。夜行性の虫も多いだろう。日が沈むとともに萎んでしまう花がある一方、こんなふうに咲いているユリは、きっと多くの虫たちを魅了しているだろう。

 ぼくは、家に持ち帰り、花瓶に挿して、花を楽しんでいる。白く長い6片の花びら、6本の鮮やかな黄色いおしべ、めしべの先端には花粉を逃すまいとねっとりとした粘液が付いている。夜が更けるにつれて、だんだん独特の香りが広がっていき部屋中を満たしていった。

 ぼくはふと、畠山美由紀の『YE LAI XIANG(夜来香)』という曲を思い出した。ぼくが生まれるずっと前に相当流行した曲のカバーだ。
 YE LAI XIANGはユリではないのだけど、歌詞を聞いていると、目の前のユリを歌ってると思ってしまう。彼女は一部中国語で歌っていて、その言葉の響きがなんともしなやかで美しく、ユリの香りをより一層を漂わせていた。

   あわれ春風に 嘆くうぐいすよ
   月に切なくも 匂う夜来香(イェイライシャン) この香りよ
   長き夜の泪 唄ううぐいすよ
   恋の夢消えて 残る夜来香 この夜来香
   夜来香 白い花 夜来香 恋の花
   胸いたく 歌哀し
Posted by: kamome カテゴリー: 植物