2006/06/28
『宮古島マンゴー』
ついに、この季節がやってきた。梅雨明けとともに、街中にマンゴーののぼりが上がりはじめた。
ぼくにとっては、四年に一度のワールドカップより、一年に一度のマンゴーシーズンが待ち遠しかった。
宮古島のマンゴーは、徐々に知名度を増し、今では「マンゴー=宮古島」と思う人も多いだろう。もちろん、ぼくもその一人だ。
以前、沖縄県内のいろんな所のマンゴーを食べ較べたことがある。当時は、那覇に住んでいたため、本島内のものはすぐ手に入ったし、久米島、石垣島などのマンゴーも、出張に行く度に食べてまわった。
それらのマンゴーは、決しておいしくないわけではない。むしろ、南国の果物の王様の名に値するおいしさだ。しかし、宮古島産のものは、さらにその上をいっていた。そう、王の中の王、「大王」だ。
『マンゴーーーーー??????ル!!』
ぼくは、初めて「大王」に出会ったのは、6年前のことだった。
風邪で寝込んでいた時、友人がマンゴーを持って、お見舞いに来てくれた。それが初めて食べた沖縄産マンゴーであり、「大王」と邂逅であった。
口に入れた瞬間、今まで感じたことのない幸福感に満たされた。この世の中に、こんなにおいしい食べものが存在していいのだろうかと本気で思った。ぼくは、その価値も知らず、狂ったように全て平らげてしまった。
その時、ぼくに新しい夢ができた。マンゴー農家になることだ。人々にこんなに幸せを与えられる仕事は他には思いつかないし、大好きなマンゴーを自分で作れたらどんなに幸せだろうと思うからだ。
今はまだ夢は実現していない。しかし、今年もマンゴーを食べ、幸せを感じている。誇張ではなく、一年間生きてきて良かったなぁと思うのである。
みなさんも、是非宮古島産のマンゴーを召し上がってみてください。幸せが一つ増えると思いますよ。
*マンゴーは、常温で追熟させて、表面の赤身が増し、トロピカルな香りがかなり強くなってから、冷やして食べると、とびきりおいしいですよ。
ぼくにとっては、四年に一度のワールドカップより、一年に一度のマンゴーシーズンが待ち遠しかった。
宮古島のマンゴーは、徐々に知名度を増し、今では「マンゴー=宮古島」と思う人も多いだろう。もちろん、ぼくもその一人だ。
以前、沖縄県内のいろんな所のマンゴーを食べ較べたことがある。当時は、那覇に住んでいたため、本島内のものはすぐ手に入ったし、久米島、石垣島などのマンゴーも、出張に行く度に食べてまわった。
それらのマンゴーは、決しておいしくないわけではない。むしろ、南国の果物の王様の名に値するおいしさだ。しかし、宮古島産のものは、さらにその上をいっていた。そう、王の中の王、「大王」だ。
『マンゴーーーーー??????ル!!』
ぼくは、初めて「大王」に出会ったのは、6年前のことだった。
風邪で寝込んでいた時、友人がマンゴーを持って、お見舞いに来てくれた。それが初めて食べた沖縄産マンゴーであり、「大王」と邂逅であった。
口に入れた瞬間、今まで感じたことのない幸福感に満たされた。この世の中に、こんなにおいしい食べものが存在していいのだろうかと本気で思った。ぼくは、その価値も知らず、狂ったように全て平らげてしまった。
その時、ぼくに新しい夢ができた。マンゴー農家になることだ。人々にこんなに幸せを与えられる仕事は他には思いつかないし、大好きなマンゴーを自分で作れたらどんなに幸せだろうと思うからだ。
今はまだ夢は実現していない。しかし、今年もマンゴーを食べ、幸せを感じている。誇張ではなく、一年間生きてきて良かったなぁと思うのである。
みなさんも、是非宮古島産のマンゴーを召し上がってみてください。幸せが一つ増えると思いますよ。
*マンゴーは、常温で追熟させて、表面の赤身が増し、トロピカルな香りがかなり強くなってから、冷やして食べると、とびきりおいしいですよ。
Posted by: kamome カテゴリー: 食べ物
2006/06/21
『祝!梅雨明け(3)』
二週にわたり梅雨について書いてきたので、今回は、梅雨明けについて書かなければいけないだろう。
6月20日、沖縄気象台は、
「沖縄地方は、梅雨明けしたとみられます」
と発表した。さらに注意事項として、「変更する場合もあります」と書かれていた。
「梅雨明けしたとみられます」とは、何とも、微妙な表現だ。これでは、130万の沖縄県民は納得しない。変更することを留保するなら、バシッと「梅雨明けしました」と書いて欲しいものだ。多くの人が、心から待ち望んでいたのだから。
しかし、梅雨明け宣言の前から、ぼくはそれを確信していた。
週間天気予報に、ずっと雨マークがないからではない。まだ雲が多いものの、最近の夕陽は、溢れんばかりの光を放出し、あらゆるものを力強く照らしていたからだ。
空も、雲も、海も、伊良部も、みんな太陽の光に染められていた。
ぼくの目の前に広がる世界の半分はオレンジ色と黄色に、もう半分はピンクと青と薄紫に染まっていた。そして、それらのグラデーションは、どんな著名な写真家がどんな高級なレンズを使っても写し撮ることができない、繊細で刹那的なものだった。
特に海面は、バスクリンのような青や、太陽を鏡で映したようなオレンジ、海の不思議さそのままの妖艶な紫色をし、波動によって、一瞬一瞬でその姿を変えていった。
夕陽が作り出す、圧倒的な色の世界を、ただ呆然と眺めていた。まるで西の空が宝石箱でできていて、そこから煌めきが漏れだしているようだった。
頭の中は、今野英明さんがウクレレで歌っている『Pua Lililehua(サルビアの花)』の一節が流れていた。
この世の美しいものを あなたが探し求めるあいだ
わたしはここに暮らし あなたの帰りを待っているわ
誰も待ってないし、誰も待たせていないけど、この曲がずっと流れていた。
ぼくは、佐良浜の街明かりが煌めきだすまで、平良港でたたずんでいた。
『おつかれ』
6月20日、沖縄気象台は、
「沖縄地方は、梅雨明けしたとみられます」
と発表した。さらに注意事項として、「変更する場合もあります」と書かれていた。
「梅雨明けしたとみられます」とは、何とも、微妙な表現だ。これでは、130万の沖縄県民は納得しない。変更することを留保するなら、バシッと「梅雨明けしました」と書いて欲しいものだ。多くの人が、心から待ち望んでいたのだから。
しかし、梅雨明け宣言の前から、ぼくはそれを確信していた。
週間天気予報に、ずっと雨マークがないからではない。まだ雲が多いものの、最近の夕陽は、溢れんばかりの光を放出し、あらゆるものを力強く照らしていたからだ。
空も、雲も、海も、伊良部も、みんな太陽の光に染められていた。
ぼくの目の前に広がる世界の半分はオレンジ色と黄色に、もう半分はピンクと青と薄紫に染まっていた。そして、それらのグラデーションは、どんな著名な写真家がどんな高級なレンズを使っても写し撮ることができない、繊細で刹那的なものだった。
特に海面は、バスクリンのような青や、太陽を鏡で映したようなオレンジ、海の不思議さそのままの妖艶な紫色をし、波動によって、一瞬一瞬でその姿を変えていった。
夕陽が作り出す、圧倒的な色の世界を、ただ呆然と眺めていた。まるで西の空が宝石箱でできていて、そこから煌めきが漏れだしているようだった。
頭の中は、今野英明さんがウクレレで歌っている『Pua Lililehua(サルビアの花)』の一節が流れていた。
この世の美しいものを あなたが探し求めるあいだ
わたしはここに暮らし あなたの帰りを待っているわ
誰も待ってないし、誰も待たせていないけど、この曲がずっと流れていた。
ぼくは、佐良浜の街明かりが煌めきだすまで、平良港でたたずんでいた。
『おつかれ』
2006/06/14
『引きつづき、梅雨(2)』
先週に続き、雨ふりが続いている。先週の土曜日は特にひどかった。
前線が通過していたので、梅雨のしっとりとした雨というより、台風並みの叩きつけるような雨足だ。ぼくは、家でゆっくりごはんを作るため、車で買い物に出掛けた。
車のフロントガラスは、パチパチと音をたてながら、雨を力強くはじいていた。
ふと歩道に目をやると、傘をさしていない中学生が自転車をこいでいた。立ちこぎをし、急いでどこかへ向かっているようだった。
ぼくは、
『雨なのに、大変だな??。』
と思いながら、横を通り過ぎていった。
次に目撃した不思議な光景は、交差点で信号待ちしているときだ。
部活動の帰りらしい女子中学生二人組が、傘を差さずに横断歩道を渡っていた。
繰り返すが、今日は朝から大雨で、今もワイパーを高速運動させている。それなのに彼女たちは、雨なんてこの世に存在しないかのように、笑いながら歩いていた。
きっと、部活に行くときに車で送ってもらい、車内に傘を忘れてしまったのだろう。それも、二人とも同じ状況で傘を忘れてしまった。天文学的にまれなうっかりミスの重なり合いに、お互い笑いあっていたのかもしれない。
帰り道の途中、今度は高校生らしいカップルに出くわした。もちろん、傘をさしていない。髪型が崩れるほどズブ濡れになり、二人は眉間にしわを寄せていた。ぼくは、数分前に二人の間で繰り広げられた青春ドラマのワンシーンを急いで考え出さなければいけなかった。
二人は愛し合っているのに、若さゆえ、素直にそれを伝え合うことができない。男はもどかしさに耐え切れず、しなくてもよいケンカをしかけてしまう。彼女はただ怒りが収まるのを待つ以外なかった。かなり雑な展開だが、こんなワンシーンをぼくは目撃したのだろうか。
『つかの間の晴れ間』?平良港の夕暮れ?
どうやら、宮古の中高生は、傘をあまりささないようだ(もちろん、傘を差している人もいる)。アイアイ傘や置き傘などという言葉は宮古にはないのかもしれない。台風が頻繁に来襲する影響もあるのだろう。しかし台風が多いけど、梅雨や冬の時期は、雨の日も多い・・・。そして、だいたいの大人は傘を差している。一体、いくつなったら、傘が解禁されるのだろうか。
宮古出身の友人は、
「高校生の時は、恥かしくて傘を差せなかった。」
と言っていた。
ところ変われば、生活習慣もかわる。ぼくはただ、宮古の中高生が風邪を引かないように願うばかりであった。
『青の時代』
前線が通過していたので、梅雨のしっとりとした雨というより、台風並みの叩きつけるような雨足だ。ぼくは、家でゆっくりごはんを作るため、車で買い物に出掛けた。
車のフロントガラスは、パチパチと音をたてながら、雨を力強くはじいていた。
ふと歩道に目をやると、傘をさしていない中学生が自転車をこいでいた。立ちこぎをし、急いでどこかへ向かっているようだった。
ぼくは、
『雨なのに、大変だな??。』
と思いながら、横を通り過ぎていった。
次に目撃した不思議な光景は、交差点で信号待ちしているときだ。
部活動の帰りらしい女子中学生二人組が、傘を差さずに横断歩道を渡っていた。
繰り返すが、今日は朝から大雨で、今もワイパーを高速運動させている。それなのに彼女たちは、雨なんてこの世に存在しないかのように、笑いながら歩いていた。
きっと、部活に行くときに車で送ってもらい、車内に傘を忘れてしまったのだろう。それも、二人とも同じ状況で傘を忘れてしまった。天文学的にまれなうっかりミスの重なり合いに、お互い笑いあっていたのかもしれない。
帰り道の途中、今度は高校生らしいカップルに出くわした。もちろん、傘をさしていない。髪型が崩れるほどズブ濡れになり、二人は眉間にしわを寄せていた。ぼくは、数分前に二人の間で繰り広げられた青春ドラマのワンシーンを急いで考え出さなければいけなかった。
二人は愛し合っているのに、若さゆえ、素直にそれを伝え合うことができない。男はもどかしさに耐え切れず、しなくてもよいケンカをしかけてしまう。彼女はただ怒りが収まるのを待つ以外なかった。かなり雑な展開だが、こんなワンシーンをぼくは目撃したのだろうか。
『つかの間の晴れ間』?平良港の夕暮れ?
どうやら、宮古の中高生は、傘をあまりささないようだ(もちろん、傘を差している人もいる)。アイアイ傘や置き傘などという言葉は宮古にはないのかもしれない。台風が頻繁に来襲する影響もあるのだろう。しかし台風が多いけど、梅雨や冬の時期は、雨の日も多い・・・。そして、だいたいの大人は傘を差している。一体、いくつなったら、傘が解禁されるのだろうか。
宮古出身の友人は、
「高校生の時は、恥かしくて傘を差せなかった。」
と言っていた。
ところ変われば、生活習慣もかわる。ぼくはただ、宮古の中高生が風邪を引かないように願うばかりであった。
『青の時代』
2006/06/07
『梅雨(1)』
ぼくは、このことを話題にするか、真剣に悩んだ。
それは、どんなに前向きにとらえても、ネガティブな文章になってしまいそうだからだ。そもそも、梅雨をこよなく愛しているなんて人に、出会ったことがない。しかし、宮古の自然に関わることだし、何よりも4万の市民の多くが抱いているであろう感情を伝えようと思い、書くことにした。
本土では、今どんな天気が続いているのだろうか。宮古島を始め、沖縄県全域は梅雨入りしている。名護に住む友だちも、湿気について熱く語っていたので、全県的に湿った空気に覆われているようだ。しかも、中休みが入るほど、ど真ん中にいる。
我が家には湿度計がないが、最近の湿度にはすっかりお手上げだ。機関銃を向けられた一般人のように、力なく両手を上げ、あらがうこともできない。
この時期にピンピンしていられるのは、カエルとヤモリくらいだろう。
天気は、ずっと曇り時々雨といった様子。窓の外の空気はいかにも重そうで、全てのものがいつもより地球の重力を受けているみたいだ。
『梅雨の風景』
さらに、ぼくは先週から、ひどい風邪を引いていた。身体に悪そうな咳をし、おまけに微熱もあったので、すこぶるだるかった。
この風邪のせいで、唯一の湿気対策であるはずのクーラーも阻まれた。我が家のクーラーは、昭和の薫りを色濃く残すような旧型で、ドライ機能もなければ、温度設定も手動だ。温度の微調整には、熟練したテクニックを要するような代物だった。
たとえ湿っていても涼しい風が入ってくるのではないかと、藁をも掴む気持ちで窓を開けてみたが、そこには室内よりさらに湿ったドロッとした空気が漂っていた。
しかも、窓の桟のところにあった羽アリの羽が舞い上がり、ヒラヒラと畳の上に飛び散った。ぼくは病体にむち打って掃除機を動かさなければならなかった。
『葉しょうが』
そんなぼくを救ってくれたのは、この時期に宮古島で取れる葉ショウガだった。葉ショウガはこの長雨の時期に成長する作物だ。生のまま宮古味噌をたっぷりと付けて、ポリポリと食べた。何個か食べていると身体が温かくなった。
葉しょうが万歳!
ごちそうしてくれたあかばまやの高辻さん、ありがとう!
*宮古島産葉ショウガは、宮古高校のそばにある“野菜カフェ”で購入できるそうです。
それは、どんなに前向きにとらえても、ネガティブな文章になってしまいそうだからだ。そもそも、梅雨をこよなく愛しているなんて人に、出会ったことがない。しかし、宮古の自然に関わることだし、何よりも4万の市民の多くが抱いているであろう感情を伝えようと思い、書くことにした。
本土では、今どんな天気が続いているのだろうか。宮古島を始め、沖縄県全域は梅雨入りしている。名護に住む友だちも、湿気について熱く語っていたので、全県的に湿った空気に覆われているようだ。しかも、中休みが入るほど、ど真ん中にいる。
我が家には湿度計がないが、最近の湿度にはすっかりお手上げだ。機関銃を向けられた一般人のように、力なく両手を上げ、あらがうこともできない。
この時期にピンピンしていられるのは、カエルとヤモリくらいだろう。
天気は、ずっと曇り時々雨といった様子。窓の外の空気はいかにも重そうで、全てのものがいつもより地球の重力を受けているみたいだ。
『梅雨の風景』
さらに、ぼくは先週から、ひどい風邪を引いていた。身体に悪そうな咳をし、おまけに微熱もあったので、すこぶるだるかった。
この風邪のせいで、唯一の湿気対策であるはずのクーラーも阻まれた。我が家のクーラーは、昭和の薫りを色濃く残すような旧型で、ドライ機能もなければ、温度設定も手動だ。温度の微調整には、熟練したテクニックを要するような代物だった。
たとえ湿っていても涼しい風が入ってくるのではないかと、藁をも掴む気持ちで窓を開けてみたが、そこには室内よりさらに湿ったドロッとした空気が漂っていた。
しかも、窓の桟のところにあった羽アリの羽が舞い上がり、ヒラヒラと畳の上に飛び散った。ぼくは病体にむち打って掃除機を動かさなければならなかった。
『葉しょうが』
そんなぼくを救ってくれたのは、この時期に宮古島で取れる葉ショウガだった。葉ショウガはこの長雨の時期に成長する作物だ。生のまま宮古味噌をたっぷりと付けて、ポリポリと食べた。何個か食べていると身体が温かくなった。
葉しょうが万歳!
ごちそうしてくれたあかばまやの高辻さん、ありがとう!
*宮古島産葉ショウガは、宮古高校のそばにある“野菜カフェ”で購入できるそうです。