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2006/03/29

『タブの森』

 ぼくは、宮古島で植物生態学講座なるものを受講していたが、その好ましい生徒ではなかった。
 月一回の講座に、半分も出席できなかったし、元々、植物についての知識も暗く、先生の専門的な話は、通勤快速のようにぼくの頭の中を通過していった。

 それでも、講義の中で何度も耳にした「タブノキ」という言葉は、頭の中に染みこんでいた。「タブ」という言葉が、ぼくの大好きなレゲエの一種「ダブ」やアイルランド代表のサッカー選手「ダフ」に似ているからだろうか。トランポリンみたいに弾む言葉の響きのせいだろうか。


『Primavera(春)』大野山林にて
 
 現在、宮古の土地は、ほとんどが開墾され、キビをはじめとする畑になっている。飛行機からみると、赤茶と緑、黄緑などが無作為に組み合わされ、パッチワークのようになっている。視覚的には、パウル・クレーの絵画のようで面白いのだが、本来あった森は、ほとんど残されていないのは、いささか問題がある。宮古随一の森林帯、大野山林でさえ、宮古に本来なかったリュウキュウマツが植林されている。

 宮古島は、本来、タブの森に覆われていた。逆にいうと、タブは宮古島の環境に最も適した樹木だ。島に選ばれし、樹木「タブ」。ミスター宮古木「タブ」。どう表現していいのか分からないけど、とにかく、すごいやつだ。
 ヤツは決して派手な植物ではない。殊更きれいな花を付けるわけではなく、目を引くような葉っぱでもない。でも、かっこいい。

 タブの森といっても、タブだけがオフィスビルのように乱立するわけではない。シダやクワズイモなどの下草が生え、シマグワなどが中位の空間を占め、上層にはタブやヤブニッケイが実をつけている。そこには、多くの鳥や昆虫が生息する、つまり生物が多様性に富んだ森になっている。

 今回、植物生態学講座が主催となり、宮古本来の森を作る植樹祭が行われる。この長い長い時間をかけて出来る森を、できるだけ早くつくろうというものだ。ぼくたちは、数百年も生きるようにつくられていない。だから、近い将来、ぼくらでも成果が見られる、まさにタイムマシンのような方法で植樹するのだ。

 それにはまず、樹種を十種類近く混植し、「タブノキ」の生育条件を整える。大きい木の木陰が好条件になるのだ。また、密植することによって、木々の競争を促し、成長を早める。台風の時などは、仲むつまじい家庭のように、身を寄せ合うこともあるそうだ。
 技術の進歩によって変わっていった土地を、技術の進歩によって迅速に戻していく。
 植樹祭に参加して、宮古の森を再生させましょう!!

 植樹祭日時  平成十八年四月二日(日)午前九時?十二時
 集合場所   宮古島市中央公民館駐車場(九時集合)
          バスで現場へ移動します
 準備する物  軍手、スコップ、飲み物など
 植樹の場所  宮古島市水道局 水源涵養林地高野漁港前より現場まで矢印あり
 主 催   フィ―ルドノ―ト・みゃ―く塾
 問い合せ先  事務局 奥濱(0980―73―6121)


『クチナシ』大野山林にて
Posted by: kamome カテゴリー: 植物

2006/03/23

『砂浜歩記』

 ぼくは、波打ち際を歩くのが好きだ。
波に洗われたばかりの砂浜は、太陽光線を浴びキラキラと輝いている。イミテーションのアクセサリーなんかより、ずっと美しい。誰の足跡もない砂浜を歩く心地よさは、おろしたてのタオルで顔を覆ったときのあの爽快感に似ている。


『息を呑む長間浜』

 それだけではない。
 砂は、水を含みしっとりとした軟らかさと、ギッシリとつまった硬さも併せもっている。軟らかさは、まさに低反発まくらのようだし、硬さは、ぬくもりのある木板に似ている。
完全に乾いた砂は、パウダーのように軽く、目をこらさないと分別つかないほど、きめが細かい。目隠しされていたら、口に入れるまで砂糖と思って疑わない。

 前浜、砂山ビーチ、長間浜どこも1mmをはるかに下回るきめの細かさだけど、伊良部島の渡口ノ浜が一番気持ちいい。(「気持ち良い」という表現が、ぼくの最上級の誉め言葉だ。)

 足先に五感を集中させ、時間を忘れるほど感触を楽しむ。幼い頃、砂場で夢中になっていた記憶がかすかによみがってくる。たまに勢いよく押し寄せてくる波は、海の息づかいを感じさせ、足先をさらに敏感にする。

 そして砂の色。遠くから見ると真っ白だが、近くで見ると大部分は象牙色のような優しい白だ。じっと見ていると、赤や黄色、青などの粒も発見できるし、少し粒が大きいところを探せば、ホシノスナやタイヨウノスナも見つかる。

 砂浜は、サンゴや貝などの骨格でできている。彼らは生きている時、様々な色や形をしているが、波にもまれ、照りつける太陽や風雨にさらされ、また微生物に分解されることにより、徐々に原型・原色を失って、ついには白い砂浜になっていく。
海の生き物と砂浜の密接なつながりに人間の入り込めない神聖さを感じる。白い砂浜は無数の命の結晶なのだ。この宮古島自体も何万年に及ぶ生き物の営みの末、出来上がった島だ。

 砂浜を歩く気持ちよさを感じながら、1mmにも満たない砂粒に生き物たちの歴史を感じたい。

『東京から来たゆきおくん』渡口の浜にて
Posted by: kamome カテゴリー: 海

2006/03/15

「夕陽」

 パイナガマに夕陽を見にいった。

 久しぶりに雲ひとつない天気だったので、午後3時をまわる頃から、ぼくの胸はそわそわし始めた。仕事を終えて、外へ飛び出したとき、すでに西の空は赤く染まっていて、太陽も一日の仕事を終えようとしているのがわかった。

 ぼくは急いで車に乗り、パイナガマ桟橋のいつもの場所に車を止めた。
いつものように暖かいコンクリートの上に座り、太陽のぬくもりにホッとした。
太陽は地平線から30cmほどの高さで火の玉のように輝いていた。

『SUNSET ROAD』

 昼間は、太陽の進むスピードなど全く意識しないけれど、地平線に近づくと、目に見えるほどの速さで沈んでいく。マラソン大会の時、ゴールが見えると足が軽くなるように、太陽もラストスパートをしているようだ。目をそらすともっとスピードを上げてしまいそうなので、瞬きをするのもじっと我慢している。

 夕陽をずっと見つめていると、たいてい全然関係ないことが浮かび上がってくる。
ある時は仕事のこと、ある時は友達やむかしの恋人のこと。ある時は今日の出来事、またある時は学生時代のこと。心の中は、ブラックボックスだ。

 ぼくは、もうはっきりと輪郭を現にした太陽を凝視しているが、心の中では全く違う映像が映っている。太陽と地球の何万キロという距離より、ぼくの体内の数十センチの方が遥かに遠い気がする。

 地平線が夕陽の接線になる頃、いよいよスピードをあげて行く。ぼくは、沈みゆく夕陽を見逃すまいとする。その美しさに、呼吸をするのも忘れる。きっと口は半開きのままだ。

 完全に海に沈み、幾分かの寂しさとともにふと我に返ると、何故か心の中が空洞になったみたいにスッキリしている。きっと、ぼくのモヤモヤも海の向こうに連れてってくれたのだろう。

 今日も一日が終わり、無事に過ごせたことを感謝して、家路に向かった。
Posted by: kamome カテゴリー: 生活

2006/03/15

みなさん、はじめまして。

ぼくは、6年前に沖縄県へ移住して、宮古島で3回目の春を迎えている"かもめ"と申します。今日から、週に1回くらいのペースでこのHPにエッセイを書くことになりました。

28歳の視点で、宮古の自然、空、海そして生き物たちについて、想うことを文章と写真で伝えていきたいと思います。
 
これを読んでくれた方が、宮古島や身の周りの自然について興味を持ち、また宮古の自然の楽しむ参考になればいいなと思っています。

何かの縁でお読みになったみなさん、是非ご意見やご感想を聞かせてください。

まで、よろしくお願いします。


『VIVA LA VITA!(生き物万歳)』八重干瀬にて


            2006/03/15 28歳の誕生日を祝して・・・
Posted by: kamome カテゴリー: General