2007/03/15

『宮古島からの手紙』

 旅に出ると、手紙を書きたくなる。
心配している家族へ、大切な友人たちへ、お世話になっている人々へ。

 きっと日常を離れて体験をした高揚感を伝えたいと思うのだろう。人は感動すると、誰かに伝えたくなるものかもしれない。

 かもめ通信を初めて、今日で一年が経った。
今まで書いたものを全て読み直してみた。赤面するような恥ずかしい箇所もあったが、概して、ぼくの一年間軌跡を描かれていた。

 いろいろな人と出会い、別れ、友だちになり、仲たがいし、誰かを助け、助けられて、過ごした28歳だった。

 そんな中で身のまわりで起こった出来事、感動したこと、心に触れたことを、誰かに伝えたくて、文章を綴っていった。今振り返ってみると、かもめ通信は、宛先のない手紙ようなものだと思う。

 どうすればうまく伝えることができるのか、悩んだこともあった。1回の文章を書くのに何日もかかる時もあった。つまずいた時、励みになったのは、コメントやメールだった。
 こんな文章でも、読んでくれている人がいるんだと思うと、すごく力が湧いてきた。

 この文章を書くことによって、宮古島を色々な角度から見ることができた。
そして何よりも、多くの友だちを作ることが出来た。かもめ通信は、今回で終わりだけど、友だち関係はずっと続いていくだろう。

 今まで、読んでくれた皆さん、メールやコメントをくれた皆さん、本当に有り難うございました。そして、宮古島オンラインの長浜さん有り難うございました。お世話になりました。

 宮古島がいつまでも美しくあり続けることを願って、かもめ通信を終わりにします。
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2007/01/20

『100kmマラソン』

 先週の土曜日に、宮古島100km遠足というマラソン大会に出場した。
 
 なぜこんな超人的な大会に出場したかというと、大阪に住む大野さん夫婦に、いっしょに走ろうと誘われたからだ。

 ぼくは体調管理のために、たまにジョギングしていたし、1ヶ月前になんとかフルマラソンを完走していた(半分近く歩いて、制限時間ギリギリでゴールにたどり着いたという感じだったけれど)。
何よりも、たまにしか会えない友だちと同じ大会でいっしょに走りたいと思ったからだ。
 それでも、100kmなんて自転車でも漕いだことのない距離なので、50kmまで頑張って、リタイヤしようと思っていた。



 ぼくらは、朝の3時半ごろ起きて、簡単な朝食をとり、四時頃には家を出てスタート地点へ向かった。擦れちがう車もなく、辺りは夜の闇に静まりかえっていた。

 競技開始は5時だったが、そこ頃はまだ真っ暗で夜が明ける気配すらしていなかった。北斗七星の柄杓が北の空にドンと横たわり、その西側にふたご座が並んで見えた。ぼくは、まだシャキッとしないまぶたをこすりながら、星と地面を交互に見ながらゆっくり走り始めた。古代ローマ軍の行進速度くらいのスピードでゆっくりゆっくり走った。
こんな朝早くにも、与那覇周辺では沿道で声援を送ってくれて、心が温まった。

 夜が明けたのは、7時頃で狩俣へ向かう途中くらいだった。ゆっくりゆっくり走ったせいか、暗い中を走ったせいか、あまり疲労感はなかった。時間の感覚があまりなく、2時間も走ったのが信じられなかった。

 池間大橋を渡っている時、(大野)淳子さんとすれ違った。彼女はすでに池間島を一周し、宮古島に戻るところだった。飛び上がって両手で大きく手を振り、がんばってと声を掛けてくれた。

 池間島を走っている時に、30kmの看板が見えた。前回のフルマラソンの時は、25kmぐらいからずっと歩いていたので、ここを走って通過したときはニンマリとした。

 40km少し手前くらいで、パニパニの関口夫婦が応援に来てくれた。だいぶ、足にきていたけど、関口夫婦の笑顔に元気をもらって、足が少し軽くなった。
このころには、もう歩いているか走っているかわからないくらいスピードになっていた。ずっと歩くというようなことはなかったけど、ずっと走り続けることもできなかった。

 48kmに大きな休憩地点があり、ぼくは滑り込むようにそこへ入った。その時は、早歩きもできないくらい疲労していたけれど、おにぎりや団子汁などを食べ、靴を脱いで足を休めた。
朝は暗くてわからなかったけれど、周りで休んでいる選手たちは、ぼくの親くらいの年齢の人が多く、中には70代ではないかと思われる人までいた。「半分来たから頑張ってゴールを目指そう!」と知らない人同士のはずなのに、みな声を掛け合っていた。



 足が引きづりながらも50kmに到達した。目標を達成できたので、ここでリタイヤしても満足感は得られたのだろうけど、ぼくよりずっと年上の方々が、足の痛みで顔を歪めながらも走っていることを想うと、リタイヤバスに乗ることはできなかった。

 しかし、ここからは5km進むのにも、かなりの時間がかかった。歩くとか、走るとかというより、ただ前進しているということだけが誇りだった。



 東平安名崎の往復5kmの途中で、(大野)貞良さんとすれ違った。ぼくらは、ガッチリと握手した。岬の先端を周りふもとに戻る間に、70kmの標識を通過した。午後5時を少しまわり、走り始めて12時間が経過していた。

 麓のエイドステーションに貞さんの姿があった。ぼくを待っててくれたのだ。ぼくらは相談して、1?2kmいっしょに走って(歩いて)リタイヤすることにした。100kmの奥の深さやインパクトのある選手について話した。二人とも疲労困憊だった。ちょうど大嶺商事の大嶺さんが応援に来てくれていたので、ゴール地点まで送ってもらった。

 淳子さんは、見事に完走していた。ぼくらは70kmでリタイヤしてしまったけれど、とても貴重な体験をしたと思う。僕らの友情に乾杯!
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2006/12/20

『宮古島で見る夕陽は、』

 昨日、久しぶりに、夕陽を見た。
 最近、ずっと曇りや雨の天気が続いていて、夕暮れ時に空が明るくなった日は、ほんとに久しぶりだった。

 このエッセイでも何度も書いているが、ぼくは、夕陽が好きだ。

 太陽が全貌を露わにし、地平線へゆっくりと進む雄大さ。黄色から赤へ変わっていく色の変化。それ以上にいろいろな色に染められていく空。水面では輝きを加えられる。空も海も畑もサトウキビも、すべてのものを優しく包み込む光。


『字松原から見た夕陽』

 昔、どこかで読んだ本に、「マラッカ海峡で見る夕陽が、一番大きい。」と書いてあった。
どれくらい大きいのだろうか。画用紙にはみ出るくらいだろうか。
その一文だけで、ぼくはこの街へ強く惹かれる。

 『knocking on the heaven’s door』というドイツの映画がある。
海に沈む夕陽を見たことがない末期患者を海へ連れて行くという話だ。映像というよりは、言葉の使い方が面白くて、何度も繰り返し見た。

 人は、何故、夕陽に、しかも海に沈む夕陽に格別な想いを抱いているのだろう。

 ぼくは沖縄に移り住んだときに、毎日夕陽を眺めるような生活したいと思っていた。
最初は那覇に住んでいたが、仕事が忙しかったこともあり、夕陽をゆっくりと見ることはあまりなかった。

 しかし、宮古島に来てからは、西の空が輝けば、事情が許す限り、夕陽を見ている。
来間島の長間浜で、平良港で、パイナガマで、トゥリバーで、砂山ビーチで、家のベランダで・・・。
 地理的にそばにあるからということだけでなく、日常生活の中に海があり、空がある。漁をするわけではないし、毎日魚を食べているわけではないけれど、近くに感じるのだ。

 宮古島来る機会がある人には、是非夕陽をじっくり眺めて欲しい。
 その場で歩みを止め、5分でも10分でもただ夕陽を眺めてみる。胸の中につっかかったものや、日頃のストレスがスーッと流れていくだろう。

 「宮古島で見る夕陽が、一番心を和ませてくれる。」
ぼくは自信をもってそう言いことができる。
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2006/12/10

『地球温暖化(まず、読んでください)』

東京では、紅葉も終わり気温が一桁になる日も普通になりつつあるようだが、ここ宮古島では、「やっと夏が終わったな」というような日々が続いている。風が強く肌寒い日もあるが、長袖を一枚羽織る程度だ。ぼくは、暖かいところを目指して沖縄に移住したほどだから、気温が上がることは、嬉しい。

 しかし、現在の地球を取り巻く環境は、そんな脳天気なことを言っていられない地点に達していることを、多くの人は知らないだろう。
 ぼくは、この講演を聞いて、人生の進路をもう一度、じっくり考え直したほどだ。

 もう数ヶ月前にことだが、宮古島でE3燃料(*1)及び地球温暖化に関する講演会が開かれた。東京大学の山本良一教授が地球温暖化に関する基調講演をし、経済産業省・農林水産省・総務省などの官僚の方々が、温暖化に向けての政府施策を説明するというものだった。

 本当に賢明な方の話というのは、ぼくのような一般市民にもとても分かりやすい。大規模で複雑な地球温暖化という問題を、今まさに包丁を突きつけられているようなリアリティで伝わってきた。

 この2時間あまりの講演会を聞いて、ぼくは2つの衝撃を受け、胸が締め付けられる想いがした。

 一つめは、温暖化が著しく進行していること。
 京都議定書が締結された1997年以降に激化している。さらに、まだ正確な値として発表されていない2005年、2006年は、さらに上を行く気温上昇が見られた。
 南極やグリーンランドの氷河が凄まじい勢いで無くなっていることは、衛星写真で事実として突きつけられた証拠だった。

 そして、温暖化がある程度進むと、止まらない仕組みなっていること。地球上の生物種の半分近くが絶滅するであろうこと。干ばつや洪水など大規模に自然災害が頻発し、食糧不足により飢餓が発生すること。

 政治的には、アメリカが京都議定書に批准を拒否していること。中国、インドその他の開発途上国はCO2の削減義務はなく、今後中国・インドのCO2排出量だけで、現在の排出量を上回るだろうこと。先進国の一部では温暖化対策として、防災に目を向け始めていること(防波堤を高くする、海のそばに家を建てさせないなど)。

 今までは、21世紀の後半と見られていたこれらの予測が、今のペースで行くと20?30年後に起こるであろうこと。(すなわち、子どもや孫のために地球を守ろうというスローガンが、もう当てはまらない。)

 続いては、各省の循環型社会に向けての取り組みが発表された。ぼくはここで、直前までの危機的な温暖化の問題と、日本の施策のスピード感の違いに愕然とした。地球のために今やるべきことを100としたら、今は0.01くらいの進み具合だった。(もちろん、一生懸命進めているのは分かるし、とてつもなく難しい問題であることも理解している。)

 この講演を聞いて、ぼくが感じたことは、虚無感だった。環境に関心を持つ一人の人間として、どうすることもできない現実。積み木を積み上げるように一つずつやれることをやっていかなければ、いけないことは分かっている。しかし、その隔たりはあまりにも大きい。

 ぼくのやるべきことは、なんだろう??
とりあえず、多くの人にこの現実を知ってもらうことが、第一歩だと考えてこの文章を書きました。

 今置かれている状況を一人でも多くの人が理解したら、世界は変わっていくと願って。

*1ガソリンにサトウキビから作られたエタノールを3%混ぜたもので、車を走らせる取り組み。宮古はその実証試験をしている。

山本良一先生に関するサイト
http://www.makelohas.com/lohas_interview/04_01.php
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2006/03/15

はじめに

みなさん、はじめまして。

ぼくは、6年前に沖縄県へ移住して、宮古島で3回目の春を迎えている"かもめ"と申します。今日から、週に1回くらいのペースでこのHPにエッセイを書くことになりました。

28歳の視点で、宮古の自然、空、海そして生き物たちについて、想うことを文章と写真で伝えていきたいと思います。
 
これを読んでくれた方が、宮古島や身の周りの自然について興味を持ち、また宮古の自然の楽しむ参考になればいいなと思っています。

何かの縁でお読みになったみなさん、是非ご意見やご感想を聞かせてください。

まで、よろしくお願いします。


『VIVA LA VITA!(生き物万歳)』八重干瀬にて


            2006/03/15 28歳の誕生日を祝して・・・
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