ほろ酔い加減で家へ帰る途中、星がいつもより瞬いているのが見えた。
12時を回っていたけど、星座早見盤と懐中電灯を持って、ベランダへ。我が家は市内の中心地から、ほんの少し外れた住宅街にある。周りには、街灯や民家の明かりがあり、あまり暗くないけれど、結構、たくさんの星が見える。



 まず、オリオン座を基準にして、いろんな星を探していく。
一番明るい星、おおいぬ座のシリウスが見つかる。ベテルギウスとシリウスを頂点に、もう一つ明るい星を見つければ、冬の大角形が出来る。こいぬ座のプロキオンだ。
星座早見盤を見ながら、ふたご座・かに座・しし座なども見つける。たいていの場合、どうすれば、それぞれがそれぞれの名に適うのだろうと思う。でも、しばらく、じぃ?っと星の羅列を眺めていると、不思議と星座の形に見えてくることがある。
そんな時、昔の人が持っていたような想像力がぼくにも備わっていたことに嬉しくなる。

 こんな作業を繰り返していると、たまに空を切り裂くように流れ星が落ちる。無機質であるはずの星が、生命力に満ちあふれているように輝く。美しく、はかない。はかなく、美しい。
以前、流れ星が落ちる一瞬に願い事を3回唱えきった友だちを思い出し、ニヤッとする。(まだ願いは叶っていなそうだれど・・・)

 昔の人たちは、星を頼りに夜の海を航海していた。羅針盤なんてものもなかった時代だ。それでも、星だけを頼りに、多良間島や沖縄本島、果ては中国やフィリピンまでも行っていた。星を見る能力は現代人の比較ならない。それだけでなく、天気を読む力や魚介類を捕る力・・・、ぼくらはいろいろ力を失ってしまった。

 星を見たり、海をのぞいたり、人間が未だに捉えきれない世界と対峙したとき、便利さの替わりに自然との繋がりを断ってしまったぼくたちの姿が見えてくるような気がする。